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大谷裕子 院長の独自取材記事

ゆう動物病院

(世田谷区/桜新町駅)

最終更新日: 2023/01/22

桜新町の住宅街にある「ゆう動物病院」は、開院して20年という歴史ある動物病院。この町で生まれた大谷裕子院長が目指すのは地元密着、町の人に愛される動物病院だ。動物に愛情深い町として知られる桜新町の住民の方々が怪我をした野良猫を連れて来るような地元の方にすっかり親しまれた存在となっている。企業で研究職に就いた後、子育てをしながら開院を目指し、母校の研究生として再び勉学に励んだ大谷先生。そこで先輩から「獣医師という仕事は営利目的でやるものではなく、本当に動物のためになることだけを考えるものだ」と、教えられたと言う。開院後もその精神を持ち続け、診療時間終了後でも飼主に自分の携帯番号を伝え、夜中でも頼ってくる飼主と動物を受けとめている。そんな大谷先生に子供の頃のペットとの思い出や獣医師になったきっかけ、日々の診療で大切にしていることなどたっぷりとお話を伺った。 (取材日2011年7月4日)

桜新町は町ぐるみで動物に愛情を注ぐ町

まず、こちらのクリニックの歴史からお聞かせ下さい。

開院したのは平成3年です、お陰様で今年丸20年を迎えました。私は桜新町で生まれ育ったので、地域に密着してご近所の皆さんの役に立ちたいと思い、自宅のガレージの一角を改装して動物病院を開きました。狭くてごちゃごちゃしていますがアットホームです。開院当初に来てくださっていたワンちゃん、猫ちゃんはもう亡くなっていますが、今でもその子たちの2代目、3代目が変わらず通ってきてくださっています。ご家族ぐるみの長いお付合いで、ありがたいことですね。

開院当初の思い出は?

最初は私一人でやっていたので大変でした。ちょうど2人の息子たちも小さくてね。そういえば、こんな思い出があります。お休みの日に息子と遠出をしようということで、夜、車で出発し、富士五湖まで遊びに行ったんです。車中1泊して「さあ、これから遊ぼう!」という時に、いつも診ているワンちゃんの具合が悪くなったと飼い主さんから連絡が入りました。結局、その足でとんぼ帰り。今でもその時の息子の不満そうな顔を憶えています。そんなことが度々ありました。10年経った頃から、代診の獣医師を入れ、ようやく取敢えずの休みが取れるようになりました。でもその頃には息子達は大きくなっていましたからね。彼等には申し訳ないことをしたなと、今だに負い目を感じています。

先生の地元、桜新町はどんな町ですか?

世田谷の方は犬、猫を可愛がっておられる方が非常に多いですね。特に駅周辺は地域猫と呼ばれる野良猫がたくさんいる地域なのですが、毎日餌をあげている方がや、道に倒れている野良猫をここまで連れて来られる方がいたり。世田谷区では飼猫はもちろん、野良猫にも助成金を出して避妊・去勢を推奨しています。他の地域に比べて不妊手術の普及率も高く、ボランティアの方の活動もとても熱心。町ぐるみで動物に愛情を注いでいる地域だと思います。またここにお出でになる飼主さんも、動物のことを心から考えている方が多いと思います。皆さんちょっと心配事があると、すぐ連れて来て下さるので、それが病気を見つける芽となっています。どうしても動物たちは人間と違って痛みを我慢してしまうと言うか、痛みの表現が飼主さんにあまり理解されないもの。食欲がなくて3日も食べてないという時は、かなり重症になっていることもあります。病気を見落とすよりも、転ばぬ先の杖で、飼主さんが早目に連れて来てくださるのは、獣医師の立場からも非常にありがたい。病気の早期発見、早期治療が健康に過ごさせる為の第一歩ですからね。

瀕死の犬を助けてくれた獣医師に感動し、獣医師の道へ

獣医師になろうと思われたきっかけは?

昔からを我が家においては、飼っている犬が絶えた事はなかったのですが、親の方針で「犬は1匹しか飼ってはいけない」と言われていたのです。でも私としては何匹も飼いたくて、その辺から拾ってきては親に怒られての繰り返し。ところが小学校に獣医師の娘さんがいらして、彼女の家に遊びに行くと犬がいっぱいいるわけです。もちろん飼っていたのではなく、入院犬だったと思うのですが、子供ですから「獣医さんの家は犬がいっぱいいていいな」と単純にうらやましく思っていました。その後、父が札幌に転勤になったのですが、そこでは転勤族にも一軒家が与えられ、皆さん決まって犬を飼います。でも帰京の際は犬を置いていかざるを得ない。だから当時の札幌には、捨てられて傷ついた人間不信の犬達が10匹も20匹もいました。なぜか私は犬達に好かれると云う特技がありまして、(笑)その子たちがぞろぞろ私の家までついて来るんです。そして家の前には集団で犬が群がり、私がランドセルを置いて出て来るのをいつも待っているんですね。素敵な毎日でした。その後、私だけ進学の為、東京に戻ることになりましたが、休みに札幌に帰る度、あんなにいた犬達が処分されたり、捕獲されたりで、どんどんいなくなっていました。「そんな犬達を助けたい!」。そう思ったのが、獣医師になろうと思った最初のきっかけかも知れません。

早い頃から、獣医師の夢を持っていらしたんですね。

いえいえ、その当時はまだまだ子供ですからね。看護婦さんになりたい、花屋さんになりたいといった感覚で、獣医師になりたいと思っていたのでしょう。子どもの頃はあんなに獣医師になりたいと思っていたのに、進路を決める際は心理学もいいなとか思って迷っていました。それが高校3年の夏休みの補修の日のこと。校内に紛れ込んだ子犬を見つけたんです。深い考えもなく教室の後ろに箱を置き、その子犬を取敢えず保護したんですが、翌日見たら犬の下半身が蛆虫に食い破られていて、瀕死の状態となっていたんです。あわてて電話帳で調べ何軒もの動物病院に救援を求めたのですが、今から考えても、まず助からないケースだったのでしょう、どこもお断りでした。そんな中、たった一人だけ学校まで来てくださった獣医の先生がいらっしゃいました。その先生は丁寧に診察して下さった後、「この子は今まさに心臓が止まってしまうところだけど、よく僕を呼んでくれたね」とおっしゃって。お金も取らずに帰っていかれました。その先生の姿にもう感激しまして、「こういう獣医師になりたい!」と、迷いを断ち切り獣医学科に進む事に決めました。

その後、東京農工大学農学部獣医学科へ進学。当時の思い出を聞かせてください。

入学する前は犬や猫など、小動物を助けたいと思って進学したものの、私の大学では当時、大動物と基礎が主流でした。それで私も自然と牛や馬を専門にやりたいと思ったのですが、昔はまだまだ女性に対して門戸が開かれていなかったんです。酪農家のおばちゃんからも「自分の牛は女の獣医には診て欲しくない」とはっきり言われる様な、まだまだ封建的な世界でした。女性の獣医師は裏方しか任せてもらえないという時代でしたので、卒業後は企業の研究所に就職。そこで薬の安全性試験やラットの解剖等に明け暮れていました。ここには6年間在籍し、仕事はやりがいがあったのですが、当時は企業も「女は結婚したら退職するのが当然」という風潮の中、結婚はOKだったのですが、隠していた妊娠がばれ、上司から「君をかばうと僕の首が飛ぶから」と言われ、その時「そういえば私、本当は小動物がやりたかったんだ」と思い出しましてね。退職し、子育て真っ最中に、もう一度母校の研究生に戻って勉強をし直し、自分の診療所を開院するに至ったんです。

動物が苦しむことなく、飼い主のもとで毎日を過ごせるように。そのサポートをしていきたい

就職、子育てを経て、再度勉強。大変だったこともたくさんあったのは?

小動物診療という面では多少ブランクがあったこともあり、私としてはゆっくり開業できたらと考えていたんです。でも母校で診療支援をされていた先輩が「自分が全面的にバックアップしてやるから、頑張って早く開業しなさい」と言って下さって。一時期その先輩のカバン持ちのような形で、往診等にもくっ付いて行かせてもらって、開業術から飼い主さんとの接し方、手術など、何から何まですべて教えて戴きました。今でも動物高度医療センターに提携させて頂く形でお世話になっているのですが、本当に人格高潔な方で、今では心から尊敬しております。「獣医という仕事は金が目的でやるものではなく、好きな事―動物たちのためになることを考えていたら、自然に生活が成り立つ素晴らしい仕事だ」と。そのことを身を以って教えていただいたと思います。この精神は開院後もずっと私の中に生きているものです。

獣医師になられて30年。日々の診療のなかで、どんなことを感じておられますか?

動物も長生きの時代になり、人間と同じように様々な病気を発症しています。例えば腎不全の場合、人間だと週3回透析を受けたとしても、生きている意義がありますよね。もちろん治療技術の進歩で動物に対しても透析治療はできますが、動物が人間と同じように週3回透析を受けたとしても、それはその子にとって非常に苦しいことだと思うんです。飼主さんの負担にもなるし、動物もうれしくない。やっぱり動物は飼主さんのもとで、ぬくぬくと暮らすのが一番なんです。動物と飼主さんにとって何がベストの方法か、非常に難しいことだと思いますが、私は病気になった動物たちが苦しむことなく、毎日を過ごして欲しい。だからもし、入院することが苦しいのであれば、飼主さんに家で点滴をする方法を教えるなど、できる限りのサポートをしていきたいと思っています。動物だって病院で死ぬより、最期の時間を飼主さんと一緒に過ごしたいはず。それに動物病院に来ることなく自宅で治療ができれば、飼主さんの経済的負担も軽くなります。愛情の深さはあってもやはり人間とは違いますから、例えば主婦や学生のお財布の内でも、ある程度満足のいく治療をするというのも考慮に入れたいと思っています。

最後に今後の夢、展望についてお聞かせ下さい。

これまで20年間やってきたことの継続でしかないのですが、今後も動物と飼主さんに優しくありたいと思っています。動物と飼主さん双方に一番いい方法を一緒に考えながら、それをサポートできる存在であり続けたいですね。只、うちはいわゆる小規模な町医者なので、地域密着と云う利点がある反面、高度医療が必要な症例にはなかなか対応できないというデメリットもあります。そこで今の処、大学病院や高度医療センター等と、迅速に連係プレイが出来る様な体制をとっています。そのお陰で診断力、治癒率が昔より抜群に向上しましたね。そして危機を脱した段階でこちらに移し、飼主さんの眼の届く所で療養させる事によって、面会等の利便性を図っています。また余談ですが、世田谷での活動以外にも、夫が那須で貸別荘を営んでいるので、毎回遊びに行くと、ご近所の方の犬や猫を往診を頼まれるんです。昔は那須には余り動物病院がなく、フィラリア予防やワクチン接種をするだけでも是非来て欲しいという方がたくさんいらっしゃいました。飼主さん達とはもう長いお付合いですので、動物病院のスタッフと一緒に回って、お話しをしたり、動物達と遊んだり。とても楽しい恒例行事となっています。その貸別荘はもちろんペット宿泊OKですので、患者さん達にも良くご利用いただいております。これは夢ですが、隠居後とかに那須にも更にこじんまりとした病院が開ければいいなと思いますね。

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