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久保田泰一郎 院長の独自取材記事

久保田家畜病院

(世田谷区/自由が丘駅)

最終更新日: 2023/01/22

落ち着いた住宅街の一角にある久保田家畜病院。建物は改装したばかりでまだ新しいものの、創業以来からの看板がなんとも味わい深い。昭和37年に柿の木坂で開業。昭和47年に現在の場所に転居して以来37年。この町で動物のお医者さんとして地域の動物医療に人生を捧げてきた久保田秦一郎先生。戦後の日本の復興期から現在までのペット事情をつぶさに見てきた先生だからこそ知る興味深い話を伺った。(取材日2010年3月15日)

学業と仕事に明け暮れた学生時代

子供の頃から動物がお好きだったのですか?

父が犬好きで、敗戦後は日本中で数十頭と特に少ない狆(ちん)を同好の志とともに増やし、また、スピッツを始め他の犬種をたくさん飼うようになりました。狆は当時まだ珍しかったから近所でも結構有名だったんです。撮影所からも貸してくれと言われて、映画にもよく出ていたんですよ。物心付いた時から犬がそばにいるのが当たり前の生活で、お産なども手伝っていましたから、いつの間にか獣医師になっていたという感じです。僕が東京獣医畜産大学に入学したのは昭和26年。終戦直後の混乱の真っただなかでした。なにしろまだ焼けただれた家がそこかしこに残っていた頃です。すごく不景気だったし"あれをやりたい、これをやりたい、だからこの仕事を選ぶ"なんて感覚は、当時の僕たちには全然なかった。仕事は暮らしていくための手段でしたから。でも獣医師の仕事は嫌いじゃなかったから、僕は恵まれていました。

学生時代の思い出やエピソードをお聞かせ下さい。

実は僕、大学に入る前に1年浪人しているんです。その間アメリカ大使館に勤めて鶏や野菜を育てていました。園芸高校を出ていたから働くことが出来たのですが。当時はアメリカの駐留軍の偉い人でも、本国から送られてきた卵や野菜の入った軍用の缶詰を食べていましてね。でも、マッカーサーだけは本物の卵と新鮮野菜。そのマッカーサーが食べる卵を産む20〜30羽の鶏の世話を毎日していたんです。マッカーサーは純白の「ゆき」という紀州犬を、副官のハーフ夫妻は「ココ」という名のコッカーを飼っていたのを憶えてますよ。ここで働いて思ったことは、動物を飼うということの意識や知識に日本と海外では歴然とした差があること。1年後、晴れて大学に合格したのでアメリカ大使館に辞意を伝えたら「君がいなくなると困るんだ」とさらに1年間引き止められて。だから大使館で働きながら大学に通っていました。大変でしたが、以後その経験が獣医師の仕事の上でもいろいろと役立ち、今になってみればなかなか得がたい経験をしたと思います。

仕事をしながらの学生生活は大変でしたでしょうね。

当時父が長らく病気で伏せていたため、自分で学費を稼がなければいけなかったものだから、大使館を辞めたあとも大学に通いながら電気会社でアルバイトをしていました。電気関係のことも好きでね、得意分野でしたよ。白黒テレビやラジオを作ったりしていました。あと、東京神宮の競技場の拡声装置の制作を手伝ったの。アルバイトを辞めるときには、社長から「このままうちに就職してほしい」なんてことも度々言われました。こうして思い返すと、僕は長い間ずっと、必ずふたつの仕事をしていましたね(笑)。アメリカ大使館で働きながら大学に、その後も大学行きながら電気会社でしょう。電気会社の後は雪印乳業に入らないかという話があって。東京獣医畜産大学はその後、日本大学農獣医学部と合併し、昭和30年に同校を卒業、国家試験も合格しました。獣医の経験も積んだほうがいいとすすめられ、東京郊外の雪印関係の牧場でほぼ1年間研修しました。そして、ようやく昭和32年に目黒区の柿の木坂に家畜病院を開業。後にここ深沢に移りました。博士号を取ったのは大学を卒業してすぐじゃなくて、もっと後なんです。大学でお世話になった恩師の外科教授の佐藤敬先生が、開業してずっとあとに先生の研究所に誘ってくれまして、それから10数年間大学に通い、平成5年に博士号をとりました。ここでも研究テーマ上、電気の知識が多いに役立ちました。

戦後の復興期と現在、ペット事情の移り変わり

開業したころの思い出話などありますか?

学校を卒業する前から大学の教授が家の犬の主治医であったので、大学を卒業、国家試験をパスした途端、おかげさまで診療依頼が結構ありました。当時は今と違って、犬が集まれば病気が伝染する時代だったため、ほとんどが往診でした。腸内寄生虫やジステンパーなどの伝染病が猛威をふるっていて、これらの病気に有効な駆虫薬やワクチンは大変種類も希少だったため死亡率が70%くらいと高く、若くして亡くなる犬が大変多く治療にはいろいろと苦心しました。その頃は日本橋にあったペットショップの嘱託医も兼務していました。当時の日本は朝鮮戦争の特需の影響で景気も上向きになり、焼け跡も少しずつ消えて、新しい家屋が建ち始めたころです。スピッツ、コッカー、コリー、シェパードが大流行し、東京や湘南付近を中心に繁殖が盛んに行われるようになったんですね。純血種は頭数が少なくてとても高価でした。この頃の犬は今の犬と違って気が強く、診療時にはよく噛まれ手に生傷が絶えませんでした。また、あの当時はいい犬飼っていると盗まれちゃう時代でしたよ。

他に当時のことで印象に残っていることはありますか?

当時は、ペットの数が少なかったので欲しくてもなかなか手に入らず、当時一番人気だったコリーは生後2ヶ月の子犬が6〜10万円。1坪4万円で立派な家が建つ時代ですよ。ですから繁殖に精を出す人があちこちに出てきて、お産のシーズンには助産の要望が多く、忙しくて家に帰れない日が続くこともしばしばありました。でも思い返すと、純粋犬が少なかったので当時の犬たちはとても大事に扱われていました。そこは今とはちょっと違いますね。飼う側の意識が高く、飼育に真剣さが溢れていて犬を飼うと決めたら、犬の特徴などをうんと勉強していました。情報もろくになかった時代だったけれど、それでもどうにかこうにかして勉強していましたよ。今の人はただ、かわいいからと犬を飼って、洋服を着せて連れて歩いたりして。あれはなんでだろう。洋服を着せる犬と言ったら、せいぜいボクサーだとか、チワワとかのごく短毛種だけ。おまけに冬だけで充分なのに。飼ってすぐ手放す人も多いですし。あとは、夏の炎天下にアスファルトの道を散歩させていたり。自分の都合を優先させる飼い主が多いですよね。動物の身になって考えることができない。だから僕言うんですよ。"自分でダックスフンドみたいにアスファルトの上を這うようにして裸足で歩いてみたらいいよ。どれだけ暑いと思う?"って。

そういう方々にしつけのことを含め、正しい理解を与えるのも獣医師の役目になっているのですね。

そうですね。今の飼い主さんに伝えたいのは、自分の飼っているペットを普段から良く観察するということ。そうすれば犬の忠実度が増し飼育が容易になり、なおさら可愛く愛着が生まれ、健康な状態か病気の状態かを正確に判断できるようになるはずです。動物の治療の場合、健康な状態と病気の状態を比べなきゃいけません。昔はほとんど往診だったから、普段から顔を出して常に接することで、動物の平生の状態を見ることが出来たんだけど、今は病院の診療台の上に乗せられた状態でしか見ることが出来ない。動物は自分の症状が言えないのだから、飼い主さんからいただく情報がとても重要なんです。人間の場合は病気が治ると信じ希望を持って病院の門をくぐりますが、動物の場合は全く反対で病院に連れてこられると嫌なこと、痛いことをされると恐怖心でいっぱいになっています。ストレスにより下痢や嘔吐、食欲の減退がみられる動物も多いです。当院では様々な手術をしますが、術後ほとんどがその日のうちに退院させることにしています。

優先すべきは動物に苦痛を与えないこと

お仕事のやりがいはどういう時に感じますか?

やっぱり診断に狂いがなかったこと、病気が治ったときは嬉しいし"やった!"とも思うんだけれど、特に難しい手術や病気の場合はひとしお。しかし、そこで勘違いしちゃいけない。自分が病気を治したと思っちゃいけないんです。医者の役目というのは、病気が治癒しやすいように手助けをするだけ。癌も手術で取り出しただけで治したんじゃない。ガンを取り除かれたあとの組織が自然の治癒機能の働きできれいにくっついて正常に働いて治っていくということ。つまり病気とは最終的に動物自身が治すわけです。生きものが本来持っている治癒能力を引き出してあげるのが医師の役目だと僕はずっと思ってきました。また、獣医師として基本に置いていることは、苦痛を与えないこと。また動物から苦痛を取り去ってあげることだと思います。僕の場合、手術はするものもあれば、絶対しないよって手術もある。もう助からないというのは経験上やっぱりわかりますから。尊厳死っていうでしょう?動物にもそういうことは必要だと思う。最後までしっかり観察する。もの言わぬ動物だけに、人間がもっとそのぶん考えてあげないと思うんですよ。

読者の方に、幸せなペットライフを送るためのアドバイスをお願いします。

犬を例にして挙げれば、飼うには犬種選びが一番重要ですね。自分の年齢や生活のスタイルと犬のキャラクターを吟味して慎重に選ぶ必要があります。高齢の方が大きい犬を飼っても、とても世話しきれるものじゃありません。散歩なんて大変ですよ。それがもとで起こった事故やトラブルはきりがないくらいありますから。マンションなどで大型犬を飼って、臭いや鳴き声でトラブルになったりも多いようですね。人に迷惑を掛けない。自分の住環境も考えた上で考慮しないと行けないと思います。

先生のご趣味はなんですか?

僕は高校時代から写真や写真機が好きでね、戦後、海外から持ち込まれた珍しい犬種を展覧会や町で見かけると、頼んで写真を撮らせてもらって、ついでに管理の方法や、病気の話しなどもいろいろと聞き出して、治療の参考にしていました。今でも治療した患者さんの症例の手術前と術後写真などは全部自分で撮っています。仕事以外でももちろん撮ります。撮った写真をコンピュータに保存、プリントもします。医院の改築時にはささやかなコンピュータールームを設け、自作のウィンドウズと写真関係はMACを設置しました。あともうひとつの趣味は模型飛行機を作ること。大掛かりになったのはもう2、30年前からかな。この製作には大変な精密性が必要で、工程は本業の外科手術の手技にも通じます。コレクション見たらきっとびっくりしますよ。数年前には地域の少年の科学知識に役立てて頂きたく、米国レーサーのChester Jeep実機の5分の1スケールの1機(写真参照)を世田谷区に進呈したこともあります。さっきの仕事の話じゃないけれど、趣味もふたつ同時にやっているね。そういう性分なんでしょうか(笑)。好きなことや興味のあることが多くって、自然とそうなってしまうんです。

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