動物病院・獣医を探すなら動物病院ドクターズ・ファイル

動物病院・獣医を探すなら動物病院ドクターズ・ファイル。
獣医の診療方針や人柄を独自取材で紹介。好みの条件で検索!
街の頼れる獣医さん 920 人、動物病院 9,832 件掲載中!(2024年03月30日現在)

加藤 元 院長の独自取材記事

ダクタリ動物病院 東京医療センター

(港区/白金台駅)

最終更新日: 2023/01/22

今年で78歳になられるとは思えないほど、はつらつとした印象を受ける加藤元院長。1964年、杉並区に1つめの動物病院を開設したのち、広尾、中目黒、代々木にもクリニックを開業。現在も現場に立ち続けていう上に、コロラド州立大学と千葉科学大学で客員教授までをも務めていらっしゃるというから驚きだ。それだけでも大変な忙しさが想像できるのだが、院長は「日本ヒューマン・アニマル・ボンド・ソサエティ」の設立者としても積極的に活動を行っているという。今回はこれまでの経歴から、その協会の活動内容、そしてダクタリ動物病院院長としての医療への熱意まで、様々なお話を伺ってきた。※公益社団法人日本動物病院福祉協会ファウンダー、NPO法人日本ヒューマン・アニマル・ボンド・ソサエティ代表、ダクタリ動物病院代表、米国コロラド州立獣医科大学客員教授、千葉科学大学薬学部客員教授 (取材日2009年1月7日)

馬に魅了され、獣医師を志した少年時代

院長と動物の最初の関わりあいをお教えください。

私が子どものころは日本中で「富国強兵」が叫ばれている時代だったもので、犬や猫などをペットとして飼っている家庭はなく、身近にいる動物といえば、軍馬や荷物や人を運ぶための馬でした。しかし、日本には、欧米にいるような立派な大型の軍馬はまだまだ少なく、国は軍馬を育てられる人や扱える人を増やす必要があったのです。それらを目的とした、『愛馬読本』という小津茂郎さんが書かれた本を読んだのが小学校4年生のとき。私はその本を通して著者の小津さんの馬に対する愛情を感じ、馬という動物にどんどんと魅了されていきました。そして、そのときに人間を診る医師がいるように、動物を診る医師がいることを知り、子ども心に獣医師を志したのです。

ジャケットに付けられているのは馬のバッジですか?

そうです。私は今でも馬が大好きで、コロラド州立大学で客員教授をやっている関係で年6回アメリカに行くのですが、そこでは必ず乗るようにしています。馬に乗り始めたのは、『愛馬読本』を読んだ小学校4年生のときです。それまでは、馬は噛むし、蹴る、しかも子どもが蹴られた場合は即死だというように教えられていたのですが、実際に馬に接すれば接するほど、それが大人や社会の無知による嘘だということがわかり、馬の世話をすればするほど、どんどん好きになっていきましたね。

先生が思う「馬の魅力」とは?

すべてです(笑)。中でも特に目が可愛らしいですよね。そういえば、幼い頃に馬と話したいと思い、アイコンタクトをとったときに「人間のように言葉を使って話すのではないが、馬も犬や猫と同じなのだな」と感じたのを思い出しました。目や仕草を見れば他の動物と同じで、その子がおびえているのか、安心しているのか、好きなのか、そうでないのかがすぐわかりますから。

神戸出身の先生が、獣医師の勉強をするのにわざわざ北海道大学を選ばれた理由を教えてください。

私が旧制中学1年生のとき、第二次世界大戦が終戦を迎えました。その頃の日本は貧しく、食糧難の時代で都会の馬たちは皆、人間に食べられてしまったのです。ところが北海道は、半年間、雪に囲まれた生活をしているので燃料や食料などを運ぶための馬がいないと生活することができません。だから、北海道には日本で一番多く、馬が残っていたのです。当時は、動物のお医者さんになれる国立一期の大学というと、東京大学か北海道大学しかなかったもので、だったら大好きな馬がいる場所と思い、北大を選びました。

実際に北海道に行かれていかがでしたか?

毎日のように馬に接することができましたし、馬術に興ずることもできましたので、正解でしたね(笑)。しかし、動物の医者になるという点では、ガッカリ。私は文字通りの動物のお医者さんを志していたのですが、当時の大学で教えていたのは「馬や牛が中心」だったのです。当時は、犬や猫などは市民権のない時代で、具合が悪くなっても医師に診せるという文化はなく、北大の動物病院に行っても犬や猫は一匹もいませんでした。そんな時代だったので仕方ないと言ってしまえばそれまでですが、やはり残念でした。まだ日本では犬や猫のための獣医学やそんな講座もなかったので、札幌の丸山動物園を実習の場として選びました。

10歳までの子どもたちに犬や猫と共に暮らす家庭生活を普及させたい

大学をご卒業したあと、神戸の動物園にお勤めされるのですね。

大学では馬や牛中心に学ぶのですが、私は文字通りの動物のお医者さんになりたかったので、実習の場に小鳥から象までいる札幌の円山動物園を選びました。その延長として郷里にある神戸市立王子動物園で獣医師として働き始めたのです。そこで6年間、小鳥から象までの動物たちと、文字通り寝食を共にし、ありふれた犬や猫や文鳥のための動物病院を開くことのできる時代が来るのを待つしかなかったのです。

動物園に勤務されていた中で、特に印象的な出来事を教えてください。

一番の想い出というと、私が子どものころから動物園にいた象との関わりですね。高校時代動物園に行ったときに、痩せていて皺が多い一匹の象がおりまして。私はその当時から「この子は病気なのではないか」と思っていたのです。その象は、私が大学を卒業して働き始めたときには、ますます痩せてしまっている状態でした。そこで、検査をしてみたところヒト型の結核にかかっていることがわかったのです。それまでの間、その象は診断もされず治療も受けずにいたもので、すでに手遅れの状態。勤め始めた年の真夏に敗血症に進行し亡くなってしまいました。当時は、人間が食べていくのが精いっぱいな時代でしたから、捨犬や捨猫がいっぱい。その他の動物どころではないということも理解できたのですが、人と動物を取り巻く環境に非常に憤りを感じましたね。

84年に先生は『ヒューマン・アニマル・ボンド』(以下、HAB)のセミナーを日本で初めて開かれたそうですが…。

HABとは「人と動物の絆」という意味です。この研究は、アメリカやヨーロッパで1970年代に始められました。その中で、人と動物と自然とのふれあいは、子供たちの脳の発達に不可欠であり、全ての人々の心にも体にも良い影響を与えるということが明らかにされていたのですが、当時の日本にはそんな言葉もありませんでした。また、動物たちを家族の一員として共に暮らすという文化がなかったのです。ぜひとも小学校からの教育にと願い、ハワイ大学のアレン・ミヤハラ教授(友人の一人)を招聘し、私が通訳をし、開催しました。

具体的に言うと、どのような効果があるのですか?

青少年犯罪や虐待、ひきこもり、いじめの増加など社会環境が年々悪化していますよね。すべての病気は予防が大切なように、これらの状況も予防が必要なのです。そこで有効なのが10歳までの間の直感の時代(科学的には脳の社会化の感受性期)に、人と動物と大いにふれあうこと。実は、人間の脳というものは10歳で心のハードウェアとして完成し、人格/個人としての基礎ができ上がるからです。それまでに人と動物と自然に接しながら生活をすることで、命の大切さや優しさ、思いやりの心、真の勇気と主体性を体感・体得し身につけることができます。私たちは、このような教育が、これらの児童問題、ひいては社会問題の予防に役立つと考えており、保育園や幼稚園、小学校に出向いて動物たちと子どもたちが安全にコミュニケーションを図れるふれあいの機会を設けているのです。人間の言葉を話せない動物たちと仲良くするということは、相手の直感を感じとること「体感・体得・気づきの教育」につながっているからです。しかし、世界の文明国は、ヒューマンな脳、つまり人を育てる教育ではなく、受験教育にしてきたのではないでしょうか。人間性が身についた子どもたちは、動物にも優しくなれる…つまり、人間はもちろん、この活動は双方に良い連鎖が起こり、人が人として育つのに役立つのです。

先生が、そこまでHABに注力する理由は?

私は幼い頃に動物と接することで「死」とは、戦争とはどういうことなのか、そして誰しもが持つ「いじめ心」をコントロールすることの大切さを体感・体得し身につけました。「いじめ心」というものは、どんな人間にもあるものなのですが、それを制御できないと最終的に殺人や戦争などにつながってしまうことを中学生のときにはすでに感じていましたね。それと、私自身、富国強兵のための軍事訓練(殺人)につながる教育になじめず、不登校をしていた時期がありました。その頃に、馬と出会ったことで獣医師になるという目標ができ、再び学校に通い始め中学一年生を二度やりましたことも、HANBの科学の普及に努めている要因の1つかも知れません。つまりHANBが私を救ってくれたのです。だから、人と動物と自然とを大切にする教育でポジティブな平和をと願うのです。

最新鋭のCTで、物を言えない動物たちのガンを早期発見

先生が神戸ではなく東京で開業されたのはなぜなのですか?

東京は日本で一番、文化度が高い場所だったもので、地方とは違い犬や猫を大切にする人口も多かったのです。それで、1964年に「小鳥から象まで」というコンセプトのもと東京都の久我山に開業しました。当時は動物園での勤務経験を活かして、昔、デパートの屋上にたくさんあった「子ども動物園」で、ライオン、トラ、チンパンジーや子どもの象なども診ていたのですよ。

先生は現在、中目黒・広尾・久我山の3院の院長先生をされていますね。

どの病院も優れたドクターたちと獣医技術師たちすべてのスタッフに恵まれていますが、動物を愛する、大切にする皆様にご利用いただき、全員がチームとなってやりがい・生きがいを感じています。中目黒、広尾、久我山、それぞれの病院には動物たちのために最新鋭の麻酔器機、超音波、内視鏡、その他優秀な機器を用意していますが、センター病院である広尾には精密検査に必要な最も進歩した第4世代のCTを導入しているのですよ。最近は人間同様、ガンにかかる動物が増え、その早期発見と精密な診断にはCTが欠かせません。これは広尾の病院に通う方の特権ではなく、中目黒や久我山の患者さんはもとより、関東一円どなたにでも検査を行います。事実、多くの動物病院から紹介されています。

広尾は365日24時間体制で治療を行われていますが、これは中目黒の患者さんも受けられるのですか?

もちろんです。中目黒だけでなく久我山の患者さんもCT、癌や脳脊髄外科など専門性の高い手術など、誰でも受けられますよ。当院の場合、、医師とベテリナリ・テクニシャン(動物技術士)が常勤する体制です。事故や持病の重い病気に24時間対応できる、これが基幹病院(二次診療病院・総合病院)というものだと私たちは考えています。そのために、広尾には医師15名、ベテリナリ・テクニシャン35名(合計50名)が24時間、ローテーションで治療にあたっています。

勤務されている先生は、どんな方が多いですか?

公益社団法人日本動物病院福祉協会によって設定された400もの項目をクリアした、人と動物の幸せに貢献する高度な専門知識や広範囲に及ぶ一般臨床知識を備えた各科の専門臨床獣医師と専門獣医技術師ばかりです。これまでの日本の病院では、医療機器などのハードウェアばかりが評価されてきましたが、私たちはそれを活かす医師やベテリナリ・テクニシャンのソフトウェアの質が一番大切だと考えています。たとえば、レントゲンというハードウェアが最新のものでも、撮れた写真の精密な診断(ソフトウェア)ができる獣医師がいて、直ちに合理的な治療が行えなければ、まったく意味がありませんからね。そして、どの先生たちも技術師たちも、"人と動物と自然(地球)を大切にする"心やさしい人たちばかりですよ。

最後の質問です。医院名にもなっている「ダクタリ」とは、どういう意味ですか?

スワヒリ語でドクターという意味の言葉です。 ヨーロッパの植民地時代のアフリカで、密猟者から動物を守る「動物保護区」の保護官(獣医師)を、地元民は「ダクタリ」と呼んでいました。私たちも獣医療を通じて、小鳥から象まで様々な動物を守る存在でありたいという意味を込めて、ダクタリ動物病院という名前にしたのです。

動物病院ドクターズ・ファイルは、首都圏を中心としてエリア拡大中の獣医師・動物病院情報サイト。
路線・駅・行政区だけでなく、診療可能な動物からも検索できることが特徴的。
獣医師の診療方針や診療に対する想いを取材し記事として発信し、
ペットも大切な家族として健康管理を行うユーザーをサポートしています。

掲載情報について

掲載している各種情報は、株式会社ギミック、または株式会社ウェルネスが調査した情報をもとにしています。
出来るだけ正確な情報掲載に努めておりますが、内容を完全に保証するものではありません。
掲載されている医療機関へ受診を希望される場合は、事前に必ず該当の医療機関に直接ご確認ください。
当サービスによって生じた損害について、株式会社ギミック、および株式会社ウェルネスではその賠償の責任を一切負わないものとします。
情報に誤りがある場合には、お手数ですがお問い合わせフォームより編集部までご連絡をいただけますようお願いいたします。

TOP