安田英巳 院長の独自取材記事
安田獣医科医院
(目黒区/緑が丘駅)
最終更新日: 2023/01/22
東急大井町線の緑が丘駅を下車して、閑静な住宅街を歩くこと約5分。そこで28年の長きに渡り、地元密着型のかかりつけ医としてご活躍されている安田英巳院長は、クリニックで働くスタッフの方たちには技術ではなく「人との付き合い方」を重視した教育を行っているという。院長ご自身も「偉くなると、人は横暴になる」という理由から週に一度はマジック教室に通い、そこで先生に怒られることで自分を戒めているのだとか。そんな人間としての基礎力を大切にしている院長先生の、診療にかける想いや患者さんとのお付き合いの仕方についてのポリシーを探ってきた。 (取材日2009年11月10日)
大学時代、軟式テニスの試合で全道チャンピオンに!
先生が獣医師を志されたきっかけを教えてください。
親戚に同じように獣医師をやっている人がいまして。その影響で獣医という仕事にもともと憧れてはいたんです。でも、実はそれよりも「船乗り」になりたかったんですよ。しかし、目が悪いので諦めざるを得なくって。それで今度は船を作るほうの職業に就こうと思ったのですが、今度は目の上がダメだったんですね。
目の上…ですか?
…頭ですよ(笑)。というのは冗談ですが、それも上手くいかず獣医師という職業に就こうと本格的に思い始めるわけです。もちろん、前提として動物は大好きで子どもの頃から犬や猫を飼っていました。最近では盲導犬のパピーワーカーとしての活動もしているんですよ。始めたきっかけとしては、患者さんにアイメイト協会の方がいらっしゃって「パピーワーカーが少ない」という話を伺いまして、じゃぁ、ちょっとやってみようかなと。盲導犬というのは家族の一員として愛情豊かに育てるのが基本なんです。その犬が私のもとから巣立ったときは、ずっと吸っていてなかなか止められなかったタバコをピタッと吸わなくなりました。自分でも、ハッキリした理由はわからないのですが、それくらい可愛がっていた子がいなくなってしまった悲しさからというか…きっと、教え子が巣立っていくのを見ている先生というのはこういう気持ちなんでしょうね。こうやって話をしているだけで泣いてしまいそうです。でもまぁ生きてくれているので、将来、リタイヤしたときには、またウチで引き取って一緒に生活したいなと思っているんですよ。ちなみに今まで2頭の盲導犬を育てたのですが100%の成功率でした。通常は50〜60%と言われているので、これはかなり自慢ですね。
大学時代のお話をお聞かせください。
父がやっていた影響で、自分も中学校の頃から軟式テニスをやっていました。僕は高校卒業後、帯広畜産大学に進んだのですが、そこでも軟式テニスのサークルに入りまして。毎日、4〜7時くらいまで練習をして、大学4年生のときにペアで全道チャンピオンになったんですよ。最終的にはキャプテンをやっていたのですが、肩書きだけ見るとモテそうでしょ?でも、ほとんど男ばかりの大学だったので全くでしたね(笑)。テニス自体は今年の4月まで続けていました。止めたわけではないのですが、転んだ拍子にうっかり手首を骨折してしまいまして、休んでいる状態なんです。早く復帰したいんですが、体がついていくかが…ちょっと不安ですね。
大学時代、サラリーマン時代。すべての経験が今に役立っている
大学卒業後の進路をお教えください。
卒業後はすぐに獣医師にはならず、製薬会社で動物向けの薬を扱う仕事をしていました。その中で、研究所で働いたり、開発に携わったり、営業職に就いたりといろいろな職種を経験しました。中でも、営業職はお金を扱いますよね?大きな会社だったので実際にお金を取り扱うことはなかったのですが、売り上げであったり、決算であったりと大学で獣医師としての勉強しかしてこなかった私にとっては、それが辛かったといえば、辛かったです。でも、今となって思えばその経験が開業医として動物病院を運営する上で非常に役立っているなと。そういった経験も含めて、7年9ヵ月の製薬会社での経験は無駄ではなかったなと思います。
ちなみになぜ、すぐに獣医師さんになられなかったのですか?
長男である私の兄は、自分が帯広畜産大学を卒業する頃には、すでにアメリカに永住をしていまして。私も同じようにアメリカに行きたかったのですが、長男がいないということで親の面倒をみなければいけないということになりまして。それで日本に留まったのです。あと、当時は全体的に開業志向というのは、そんなに高くない時代で独立は視野には入れていなかったもので、製薬会社で働き始めたというワケです。
それでは、開業をしたきっかけを教えてください。
「自分の力を試したい」というのは良い言い方ですけど、やっぱり製薬会社時代にそういうクリニックを回っていて、臨床というか獣医師という仕事はやっぱり楽しそうだなと思ってしまいまして。まぁ、それだけではなく営業時代、出張が多かったもので、家族と共にゆっくり過ごしたいなど他にも様々な理由があったんですけどね。30歳のときでした。私はもともと馬や牛を診る医師になりたくて北海道に渡っていたもので、いざ東京で開業しようとすると改めて勉強をし直す必要がありまして。寝る間もないほど勉強をしました。でも、私は獣医師というのは、犬や猫だけでなく全ての動物を診られる医師である必要があると思っているので、やはり大学時代の知識は無駄になってはいないと感じているんですよ。
診察券がない(!)のも、サービス向上の一貫!?
こちらに来られる患者さんは地元の方がメインですか?
ほとんどが地元の方で、先ほどの話とちょっと矛盾するのですが、犬や猫を中心に診ています。自分が会社でサラリーマンとして働いていた経験から、料金のほうは適正価格というものを常に意識していますね。だからと言って、安売りのダンピングをしている気は一切ありませんし、ましてやそれをウリにしていることもありません。そういうこともあり、ウチの若い先生方が出してきた料金に「?」と思うことがあると、まず「先生、これ払える?」って聞いてみるんです。それで「いやぁ、無理かも知れません」と言ったら「じゃぁ止めておこうよ」と適正価格にシフトさせます。あくまでも給料をもらっていた人間の感覚で考えていたいんですよね。
かかりつけ医として何か工夫をしていることはありますか?
これは獣医師だからというわけではなく、全ての職業に通じることだと思うのですが、たとえば診療が終わったときに雨が降っていたらスタッフ自ら傘をさして差し上げる、そんな気遣いやサービス精神をもって患者さんに接しましょうと皆に言っています。なので、彼らと食事に行った時などは「食べる前にサーブしてくれる方たちの動きをよく勉強するように」と言って、最高のサービスというものを研究してもらっているんですよ。ちなみにウチには診察券がありません。確かにスタッフは大変だと思うのですが、顔を見ただけで「○○さん、こんにちは!」って声をかけられたら嬉しいし、何よりも気持ちがいいですよね。皆には飼い主さんの顔、動物の顔や特徴、種類、乗って来られた車を見て覚えてもらっています。これ自体は医療行為ではないのですが、新しい機械を導入してもできないウチだけの魅力なのではないでしょうか。あと、患者さんをお待たせするのは嫌だし、かといって予約制にするのも嫌だということで時間内にきちんとしたサービスできるような教育もしています。この"教える"ということに関する感覚はサラリーマン時代に上司に言われた「上司というのは下を上げるために上に立っているんだ」という言葉が基礎になっていますね。技術やテクニックは本を読めば理解できることも多いですよね。だからこそ、自分のもとで働いている人たちには本に書いていないようなことを色々と教えてあげたいんです。でも、これは自分がある程度の年齢になったから言えることかも知れないんですけどね。
医療上のこだわりを教えてください。
ここ10〜15年で、人間と同じようなメカニズムでアトピーにかかっているペットが増えていますね。正直、一度かかってしまうと治りにくいです。でも、予防することもできるし、治療に結びつけることもできる。でも、今の日本ではそれがまだまだ…な状態なんですね。私は今、皮膚病の治療に力を注いでいるので、欧米のスタンダードを取り入れつつ、より良い治療を行っていきたいと考えているんですよ。
ちなみにお休みの日は、どんな過ごし方をされているんですか?
週に1回、電車に乗ってマジックを習いに行っています。スタッフや患者さんとのコミュニケーションツールとしてはもちろんなんですが、自分が生徒という立場になることで目線を変えられるのがいいなぁと。先生に怒られるというのはこの年になると貴重な経験ですよ。偉い立場になれちゃうと人ってダメになりますから。