國廣淳智 院長の独自取材記事
MOMOどうぶつ病院
(横浜市都筑区/仲町台駅)
最終更新日: 2023/01/22
國廣院長と向かい合った瞬間から、「根っからの動物好き」だということが、ひしひしと伝わって来た。紹介してくれた保護猫は、病院の近所で交通事故に遭い、血まみれで運び込まれたのだと言う。「この子は脊椎損傷なんですよ」と言いながら、さすってあげる手がこの上なく優しかった。めざしてきたのは、専門性の高い獣医師ではなく、赤ちゃん時代から元気な盛りを経て、高齢になって看取るまで、動物の一生に寄り添える獣医師だ。動物と「会話」するのも大好きで、飼い主さんより以上に、動物とばかりしゃべってしまうのもしょっちゅうだとか。「私が動物の言葉を理解しているつもりになっているだけかもしれませんが、そんなふうに話せる子は、具合悪そうだなとか、顔を見た途端にわかりますね」と笑った。 (取材日2014年1月17日)
小学生の頃飼っていた愛犬の死をきっかけに、獣医師をめざす
院内でもたくさんの動物を飼育していますね。
うちにいるのは、基本的には保護された犬や猫たちばかり。放置したら、「処分」されてしまう子たちです。里親探しも行っているので、新しい飼い主さんにもらわれていく子は多いのですが、中には行き先が見つからない場合もあります。特にケガや障害があるような子は里親探しも難しい。たとえばある猫は、野良猫で、この近所で交通事故に遭い、両足骨折の状態で連れてこられました。脊椎損傷もあるので自分で排便できません。誰かがさせてあげないといけないので、飼える人は限られています。だけどこの子にしてみれば、血まみれで動けずにいるところを抱き上げられ、うちに来て、やっと生きるチャンスを得たわけです。そういう子たちに、どこも行き先が無かったら可哀そうじゃないですか。それで「じゃあうちにいようか」と迎え入れているうちに、どんどん増えてしまいました。
小さい頃から動物好きだった?
そうですね、たぶん獣医師はみんなそうだと思います。特に私の場合は本当に動物が大好きで、小さい頃「なめくじに塩をかけると面白いよ」と言われてやってみたら、なめくじがみるみる縮んでしまうのを見て、可哀そうだと大泣きしたことがあったそうです。実家ではずっと犬を飼っていました。マルチーズなんですけどね。一人っ子でしたので、犬は兄妹であり、一番の友だちでした。もう大好きで、哀しかったり落ち込んだ時などには、話し相手になってもらい、ずいぶん助けてもらったと思います。でも初代のマルチーズは、私が小学校の修学旅行から帰った日に体調を崩して亡くなってしまいました。ものすごいショックを受けて泣き続けていたら、見かねた母が2代目を連れて来てくれて。その子は私が大学を卒業するぐらいまで生きていてくれました。大学を卒業してからは、初めて自分で猫を飼いましたね。猫は猫らしいところがいい。犬も可愛いですが、猫も可愛いですよ。
ということは、獣医師になったのはもう自然な流れですか?
実は父も麻布大学出身で、獣医師でした。ただし、同じ獣医でも私のような犬猫ではなく、牛豚など家畜専門でしたが。まあ、獣医師という職業自体は幼いころから身近でしたね。そういえば一度、父の仕事場について行ったことがありました。牛の肛門に手を入れて行う直腸検査というのを目の当たりにして、「僕は絶対やりたくない!」って言ったらしいです(笑)。牛のお尻に手を入れてウンチをかきだすなんていやだって(笑)。でも結局、小学生の時に愛犬の死をきっかけに、獣医師をめざすようになりました。「犬を助けられるようになりたい」と、卒業文章に書いていました。今こうして獣医師として働かせて頂くなかで、今まで動物たちに助けられてきた「恩返し」をさせてもらっているような思いで日々やりがいを感じています。
忘れない、「動物にとっても、飼い主は家族」
大学時代はどんな学生でしたか?
卒論を書くため、必ず研究室に入らなければいけなかったのですが、私はもちろん動物と触れ合える研究室を選びました。3年生からは毎日動物の世話をしたのですが、楽しかったです。「あぁ俺は、こういうのがやりたかったんだよな」って(笑)。でも研究での、動物を対象とした実験は、研究のためとはいえ、自分には辛いものがありました。理想と現実のギャップを感じ、研究職は向いていないと思いました。
その頃のことで、印象に残る思い出はありますか?
実は大学時代に母親を亡くしました。当時、2代目のマルチーズがいたのですが、訃報を聞いてかけつけたところ、その犬が母の布団にもぐったまま出てこないのです。悲しんでいるんだな、家族なんだなぁと思いました。それまでは、人間は犬を家族として迎え入れているけど犬の方はどうなんだろうと思っていたのです。でも、ちゃんと家族なんですね。だから動物を入院させる際には、飼い主さんと離すことがその子にとって本当にいいことなのかどうかを常に考えます。人間だったら、家族に看護されるより看護師さんに看てもらった方が安心と思えるかもしれませんが、動物にとっては、大変な苦痛かもしれません。それが少しでも和らぐよう、できるだけストレスを与えないように気を付けたりしています。
仲町台を選んだのはどうしてですか?
開業地を探していた時に訪れて「この街いいな、住んでみたいな」と思ったんですね。緑が多くて、公園もきれいだし、色々な面で便利でしたので。 1998年に開業したので、もう15年以上になりますが、うちに来る飼い主さんは、ペットをとても大事にしている方が多いです。心配になってしまう飼い方をしている方はほとんどいません。みなさん動物を家族として見ているし、ちょっとでも異常があればすぐに連れてきてくれる方ばかりです。また、都筑区では9月の都筑区動物適正飼育懇談会に、獣医師会や保険福祉センター、ボランティア団体や一般市民等が協力してイベントを行っているのですが、そのなかで毎年、長寿の動物を飼っている飼い主さんを表彰しています。飼い主さんとペットの写真を掲示して、表彰状を贈るのですが、対象者はだいぶ増えてきています。気をつけて、いい飼い方をしている方がたくさんいる証拠。うれしいですね。
モットーは、「動物たちに出来るだけストレスを与えない」
診療時に心がけていることはありますか?
「動物たちに出来るだけストレスを与えない」ということですね。怖がらせたくないので、たとえば診察は極力、飼い主さんと私と動物の3者でやろうと思っています。知らない人で犬や猫の周りを囲みたくないので、看護師もなるべく入れません。採血の時も、あまり抑えつけないように配慮しています。どうしても必要な場合は抑えますけどね。そして処置をする際には、出来るだけ飼い主さんの前で行います。白衣を着ないで、シャツで診察しているのも、そのためです。
飼い主さんにメッセージをお願いします。
動物は人の言葉が話せません。気持ち悪くても自分で病院へ来ることはできないので、ちょっとでもおかしいなと感じたら、気軽に来ていただきたいです。何もなければいいですが、「早く気が付いてよかったですね」というケースがすごく多い。「もう手遅れ」という場合には私もショックですし、飼い主さんもショックですよね。それから高齢化に伴って最近は、介護を必要とする動物が増えています。犬も人間と一緒で認知症になります。昼夜が逆転し、昼は寝て夜は吠えまくる、おもらしをする、ぐるぐると部屋の中を動き回るなど大変です。私も2年間、痴呆症状が出た犬の面倒を見ましたが、朝起きると部屋中ウンチだらけになっていて「あ〜あ」と思ったことが何度もありました。飼い主のことも判らなくなってしまうので、それまでの楽しかった思い出がなくなってしまったように感じたこともありました。だから今、高齢ペットの介護をしている方の大変さはよくわかります。飼い主さん身体壊さないでね、と心配になるくらい一生懸命介護されている方もいますが、共倒れになってはいけないので、夜だけでも休めるよう、動物が夜眠れるようにするお薬を投与してあげることもできます。ぜひ相談してください。あとは責任を持って飼って欲しいです。動物は飼い主さんを選べません。「飼えなくなったから無理」とか、簡単に思わないで欲しい。これは、動物保護も行っている立場からのお願いです。
『DVMsどうぶつ医療センター横浜』の理事をされていますね。どういうセンターですか?
もともとは夜間動物病院からスタートした施設です。近隣の獣医師がいない時間帯に、救急で診られる施設が必要だと言うことで、有志の先生たちで出資し合って作りました。それが今はさらに進めて、二次診療と言って診断に困る大変な病気や、大きな手術が必要な高度な医療…大学病院に行くようなケースを、身近で診てあげられる施設にしようということで内容を充実させました。大学病院だと、診察まで2、3週間、へたすると1ヶ月ぐらい待たなくてはならないことがありますが、『DVMsどうぶつ医療センター横浜』なら、もっと早く診てあげられます。診療は全て、街の獣医師からの紹介制。専門の先生が診てくれます。最近はちょっと混んできましたが、よりよい医療を提供できるように現在も進化しています。どうぞ頼りにしてください。