小林 由佳子 院長の独自取材記事
ありす動物眼科クリニック
(横浜市青葉区/青葉台駅)
最終更新日: 2023/01/22
青葉台駅より徒歩で15分。大きな桜台公園の近くに「ありす動物眼科クリニック」がある。院長の小林先生は、インタビュー中にスタッフの愛犬ポロンちゃんと何気なくスキンシップをすると、そのまま聴診に。聴診も会話も、先生にとっては同じコミュニケーションの一つであるように思えた。愛娘の名前を取った「ありす動物クリニック」小林由佳子先生に話を聞いた。 (取材日2007年2月22日)
動物園獣医になりたかった
獣医に興味を持ち始めたのはいつですか。
小学校の頃だと思います。家で動物をたくさん飼っていたわけじゃないんですけど、父が野生動物を好きだったんですね。日本野鳥の会で、父について小さい頃から野鳥の観察やフィールドワークをしました。フィールドワークは、外へ出て行って、いつどこにどんな野鳥が来たかっていうのを調べて写真を撮ったりすることです。小学校の頃から、父について出歩いていたので、たぶんその頃から動物に興味を持ち始めたんだと思っています。住んでいた町田の実家近くには多摩丘陵があるんですよ。開発されてない自然が家の近くに残されていて。季節によって川には綺麗なカワセミがいたし、白くて中型の鳥でコサギなんかは印象に残っていますね。鳥たちが好んで食事をする場所や好んで止まる木があって、そこにいるだろうなって思って父とそこへ見に行ったり。振り返ると、物心ついた頃からそうして野生動物に触れていたことが獣医を目指すキッカケになっていると思います。子供の頃に読んでいた本もシートン動物記やドリトル先生だったんです。だから小学校のその頃に、動物関係の仕事って決めていたのは確かです。野生の動物たちの接点から、私は動物園で働きたいって思うようになって。で動物園の獣医になりたい!なろう!って最初は思っていたんですよ。
夢を叶えるために医学部大学院へ進学します。
動物園の獣医になるためには公務員にならなければなりません。学生時代に上野動物園に実習に行ってたこともあって、上野動物園、多摩動物園、井の頭動物園で働きたいと思って、そのために東京都の公務員になりました。でも当時、動物園には新規採用の募集がなかったんです。動物園は狭き門でした。社会の壁って言うんですかね、自分ではどうすることもできませんでした。でもそこで思ったんです。じゃあ動物を治す他の仕事ってなんだろうって、それで小動物の世界に入りました。自分に何が出来るかって考えてもっと専門的な仕事があるんじゃないかって。そう考えるようにもなりました。海外では動物の専門医があるんです。私も専門的な勉強をしようと思ったとき、自分が動物を最初に診るとき、目を見るのが好きだってことに注目したんです。父と鳥の写真を取ったとき、ピントは目に合わせていました。この気持ちはなんだろうって、突き詰めてみようかなって。
渡英、専門医への道
そしてイギリスへの留学を決断されたんですね
それで、当時お世話になっていた先生に相談してイギリスに留学する機会を得たんです。ロンドン大学の獣医の眼科の専門教室で、獣医眼科の基礎を勉強させてもらいました。動物園獣医を諦めた地点が一つ区切りだとすれば、イギリスでの留学生活は現在の私へと続く第二のスタートラインだと思います。私自身公務員として動物保護管理センターで働いたこともありますし、牛や馬の検査をしていたこともあります。それら仕事の経験も動物園獣医に挑戦した経験も、今の私の診療の幅を広げていると思うんです。一つのことに固執してきたわけじゃないので、その点、色々な考え方や価値観に触れられている強みがあります。だから動物園獣医へのトライや挫折はすごくいい経験になりました。
帰国後はどうされたんですか。
帰国後は、イギリスでの経験を活かして日本で働きながら獣医眼科専門医とドクターの学位を取ります。まあこれだけでも結構大変ですが、実はその頃、結婚をして子供もいたんですが離婚するんです。娘が2歳5、6ヶ月のころなんですが、娘と私と目の検査道具だけを持って家を出ました。普通の病院で勤務医をします。二人の生活が始まります。決して多くはない給料で娘との二人暮らしです。5時半に起きて娘を保育園に入れて出勤して、普通の、子育てをしている母親でした。
開業されるまでの間は相当ご苦労されたんじゃないでしょうか。
仕事の性質上、子供をどうしても周囲に預けなければなりませんでした。当院で動物看護士として働いてくれている南雲は、娘の保育園時代に知り合った友達の妹さんなんです。こういう出会いを含めて、周囲の人間に私は恵まれています。今でも診療が長引くと当時からの友人に娘を見てもらったりしているので。本当に感謝が尽きません。中でも、盲導犬との出会いは運命的でした。勤務医当時。私が勉強していた眼科関連のことを獣医の専門誌に寄稿していたことがあって。雑誌に掲載されたその原稿が、偶然に盲導犬協会の方の興味を引いたんです。盲導犬の目の病気や脚などの間接の病気をチェックをして、遺伝的に発病・発症の可能性のある犬を繁殖に使わないようなプロジェクトがあって。その計画段階で私に声がかかったんです。
二つ返事でOKをしたんですか。
今回の取材もそうですが、基本的に、私に話があれば聞きますよってOKしちゃうんですよね(笑)。でも実際やってみると、大袈裟かもしれませんけど、獣医として社会的な奉仕ができているように思えて、専門的な勉強とは別にとてもやりがいがありました。だから勤務医の頃は自分の休みの日に盲導犬関連の仕事をしていました。盲導犬の仕事は今でも続けているんです。仕事場がここからすぐ近くということもあって、今は昼休みの時間にやってるんです。
母親と娘と、目の検査道具のその後
開業のいきさつは
自分の城を持ちたかったってのがありますかね。勤務医当時は様々な制約がありましたが、今は自分の病院ですから自分のスタイルで仕事ができます。私の場合、好きな眼科診療をもっと勉強したかったし、時間の制約なく働きたかったんです。通常は7時終わりですけど、緊急時には夜中でも連絡してきなさいと言う意味で携帯電話の番号を飼い主さんに持たせることもあります。これは開業医だからできることですよね。
開業して1年になります。
3月3日で一周年。坂道が多いですが、今も自転車で通勤しています。健康的ですか?ありがとうございます。私はゼロから始めていますからなくすものもないですしね。今を純粋に楽しんでいますよ。一年でだいぶ近所の方にもお越し頂いてます。あとは少しずつですが、眼科目的で来てくださる人も、おかげさまでだいぶ増えました。私の印象では、3分の1くらいの患者さんだと思います。今日に限って言うと、半分くらいかもしれませんね。
一般診察で心がけていることはありますか。
耳がかゆいって来た飼い主の方でも、ただ耳掃除をしてほしいだけの希望なのか、耳がかゆい原因を知りたいのか。人それぞれどう治療してほしいのかは違います、そこが案外難しいし。私にしてみれば勉強にもなるし面白いところだと思うんですけど。それを聞き分けながら、望まれてるところを診るのが今の私の診療スタイルです。目指すものは、飼い主さんの希望を聞いてその通りにしてあげることが動物の幸せですから。