小菅弘章 院長の独自取材記事
小菅獣医科病院
(横浜市神奈川区/白楽駅)
最終更新日: 2023/01/22
東急東横線白楽駅から徒歩5分、JR京浜東北線東神奈川駅から車で5分の「小菅獣医科病院」。下町の趣あふれる商店街に67年の歴史を刻む動物病院だ。院内は動物や薬品による匂いもなく清潔に保たれ、2階には隔離室を設けるなど衛生管理が行き届いている。小菅弘章院長の他ドクター1人、動物看護師4人のスタッフは家族のようにチームワーク抜群だ。2002年には市内の獣医師有志数十人で2次診療・夜間診療を行う「DVMsどうぶつ医療センター 救急診療センター」を立ち上げ、安心の診療体制を築きあげた。小さい頃から常に動物とともに暮らしてきたという院長。優しく温かい眼差しは動物たちはもちろん、飼い主や地域にも向けられる。歴代のペットを連れて長年通う高齢者も多く、信頼とともに地域に根ざした動物病院だ。 (取材日2015年9月11日)
かかりつけ医として地域に根ざし67年
まずはこの地で長い歴史を刻む貴院についてご紹介ください。
当院は1948年に私の父が開業し、今年で67年目を迎えました。横浜では3番目に古い動物病院です。私は1997年に二代目院長に就任し、18年目になります。特徴としては、やはり地域密着の一言に尽きます。この地域は商店街と住宅街から成る下町で、住民はお年寄りが多いですね。中には、いま通っているワンちゃんが3〜4代目になる例もあるんですよ。当院の飼い主さん層は、ファミリーも多いですが、お子さんが独立して老夫婦で住んでいるような飼い主さんも少なくありません。ネコちゃんやワンちゃんはいつまでも一緒に寝てくれるので、子どものような存在なんです。子どもは、小さい頃は一緒に寝ても、大きくなると一緒に寝られませんし、成人すればやがて家を出てしまいます。ペットを子ども以上にかわいがっている飼い主さんも多く、病気や怪我への心配も家族と同様のレベルですね。
まさに地域に溶け込んだ、かかりつけ医ですね。
最近では、動物に対しても高度医療を行うのが当たり前になりました。その意味では、2次医療を行う医療機関を適切に紹介することも、我々のような1次医療を行う地域の開業医の役割と言えます。こうした世の中の流れを踏まえて、市内の数十人ほどの有志で出資し合い、2002年に横浜市都筑区に「横浜夜間動物病院」を立ち上げました。現在は「DVMsどうぶつ医療センター横浜 救急診療センター」と名前を変えています。昼間は2次医療センターとしての機能も持っていますし、大学の先生たちが診療科に分かれて診てくれているので、重篤な場合は速やかに2次医療に回すことができます。自分たちで出資し合って2次医療・夜間診療機関を作る動きは、大阪で始まり、全国に広がっていきました。立ち上げ時から、50歳を迎える直前まで、私も輪番のローテーションに入っていました。なぜか私の輪番のとき、イヌの胃捻転を5,6件、経験しました。すぐ手術しなければ亡くなってしまう重病ですが、そう頻繁にあるものではありません。私の輪番のときになぜかイヌの胃捻転が多くて大変だったことは、強く思い出に残っています。
横浜市神奈川区獣医師会の副会長も務めていらっしゃいます。
5年ほど前から副会長を務めています。獣医師会では、年に1度「区民まつり」に参加しています。出し物としては、ぬいぐるみと写真を撮ろうというコーナーを設けます。着ぐるみを着て子どもたちと写真を撮る趣向です。以前は自分たちで着ぐるみを着ていて、私も着たことがありますが、暑くて大変でしたよ。ここ数年は、縁あって京都の女子大生たちがその役を買って出てくれているので、助かっています。獣医師会の活動としては、小学校で生き物の飼育方法を教える取り組みも行っています。生き物係の子どもたちに、ウサギやニワトリの飼い方を教えます。最近はパソコンでパワーポイントで資料を作って行きますが、ウサギの飼い方ひとつにしても、昔と今で正しいとされていることが違うんです。たとえば10年前はウサギフードだけを与えていましたが、現在は藁を8割、ウサギフードは2割ほどで良いとされています。
時代の変化にも柔軟に対応、家族同然のスタッフ
お父様を継いで現在に至るまでの歩みを簡単にお聞かせください。
私が生まれたとき、父はすでに当院を開業していましたし、実家でも常にイヌやネコを飼っていましたので、動物がいつも身近にいました。獣医師の道に進んだのもごく自然な流れで、特に迷いもありませんでしたね。大学は北里大学に入学しました。1977年に卒業後、すぐに父の下で働き始め、20年後に院長に就任し、18年が経ちました。
お父様の時代から現在まで振り返ってみていかがですか?
私が子どもの頃は、開業獣医師という職業は一般的ではありませんでした。父も往診がメインで、忙しそうには見えませんでしたね。ペットに対する考え方が今とは随分違ったと感じます。動物も放し飼いで、いつの間にかいなくなったり亡くなったりして、またなんとなく次のペットをもらったり、拾ってきたりという時代です。動物病院に来る人もあまりいませんでしたね。私が獣医師になってからも、たとえばネコの骨折であれば以前はピンを入れる程度の治療だったものが、今では内科でエコーを撮るなど、人間と変わらない治療を行うようになりました。当院はこうした変化には少しずつ対応してきましたが、振り返ってみると隔世の感がありますね。日本が豊かになった証拠だと思います。ほかにも、昔は動物看護師という職業はありませんでした。免許を取りたての若い医師が、お小遣い程度の下働き・アルバイトとして、修行の意味も兼ねて今の動物看護師の仕事を行っていましたね。動物看護師という職業が出てきたのは30年ほど前でしょうか。当院では22年前から動物看護師を採用し始めました。
アットホームな雰囲気あふれるスタッフの皆さんをご紹介ください。
ドクターは2名体制で、私ともう一人は大木先生です。もう14年間、一緒に働いています。動物看護師は4名で、一番の古株の田中さんは20年目です。古木さんは17年、一番新人の清水さんは5年目です。私の妻も動物看護師で、17年目です。当院のスタッフは私を含めてこの6名です。みんなよく気が付きますし、よく働いてくれています。長年勤めてくれていて、家族のような存在ですね。2階の隔離室も含めて院内をいつもきれいにしてくれています。
動物も家族の一員。飼い主の気持ちに寄り添った診療を
大ベテランの先生ですが、獣医師としての喜びはどんなところに感じますか?
飼い主さんにとって、ペットは大切な家族の一員です。私自身、小さいときから自分の家のペットに対してそう思って接して来ましたので、飼い主さんの気持ちに添うことができると思います。今も自宅で飼っているネコを子どものように感じますし、話題に上げるときは「子ども」と呼んでいます。動物はとにかくかわいいですからね。スタッフも含めて、当院のいちばんのアピールポイントは「優しさ」なのではないかと思っています。助からないかな、と思った動物を助けることができたときがいちばん嬉しいですね。
病院でもワンちゃんネコちゃんを飼っているのですね。
交通事故に遭ったり、捨てられたりして連れて来られた子たちを当院で飼っています。買ってきた子は1頭もいませんね。この子たちもはじめは里親を募集していたのですが、いつのまにか我々の家族になりました。ミックス犬のハナちゃんは虐待されていた形跡があり怪我も負っていましたが、治療の結果、今ではすっかり元気になり、なついてくれています。ほかにも、交通事故でアゴが折れていたネコや、みなとみらいにある帆船「日本丸」のロープに足が挟まってぶらさがっていたネコもいます。この時は人間を助けるレスキュー隊が出動し、ちょっとした騒動になりました。病院の子たちに加えて3階の自宅にもネコを飼っていて、この子は妻がいつも一緒に寝ています。
最後にプライベートの話題を。お休みの日はどのように過ごされますか?
当院は休診日を設けていないのですが、2名体制ですので週に1日は休みがあります。50歳過ぎまで休みがなかったので、その頃を考えれば楽になりました。とはいえ、週1日の休みではなかなか自由な時間も取れませんね。趣味というと、ドライブが好きですので、車で温泉に行くことでしょうか。子どもたちはすでに成人して独立しましたので、妻と二人で出かけます。伊豆の伊東温泉が好きですね。