JR横浜線中山駅から歩いて5分ほど。真っ白な壁面に淡いエメラルドグリーンのロゴマークが、太陽の光を受けてまぶしく見える。ガラス張りの待合室は太陽が燦燦と差し込んで、日向ぼっこをしているかのよう。先代のお父様から引き継ぐにあたり、心地のよい病院にしたいと思ったと語る院長の中畑先生。真っ直ぐ目を見て話す姿に、若々しさの中にも一本筋が通った印象を受けた。(取材日2007年3月20日)
―どのような少年時代でしたか?
僕が育ったのは、この近くの緑区三保町です。生まれてから、ずっと地元ですね。緑区と名が付くくらいですから、周囲は今よりももっと緑が多くて、よくクワガタやカブトムシを採ったりしたものです。犬や猫の小動物だけでなく、昆虫なども含めて生き物が好きな少年でした。あとは友達と野球や釣りをして遊んだり、ごく普通の少年だったと思います。
―獣医師になったのはお父様の影響でしょうか?
僕の父が約30年間、この近くで動物病院を開業していましたから、小さい頃から働く父の姿を見て育って来ました。中学校の卒業アルバムでは獣医師になることを宣言していましたが、獣医師の仕事の大変さをわかっていたので、父と同じように獣医師になることには迷いがありました。その上、理系科目があまり得意ではなかったので、獣医師になるのは難しいのではないかと考えていた時期もありました。しかし、高校時代の恩師に「学校の成績やテストの点数なんかよりも、将来何になりたいかだ。もし、獣医師になる気があるなら、そっちに進め。親のあとを継ぐことが、一番の親孝行だと思うぞ。」と言われたことが、ためらっていた自分の気持ちに踏ん切りをつけてくれたように思います。
―獣医学部時代のエピソードをお聞かせください。
そのような質問に、解剖実習を挙げる方が多いだろうと思いますが、僕も同じように解剖実習が印象に強く残っています。現在では、動物愛護の観点から、解剖実習を廃止しようという動きもあるようですが、解剖実習を通じて、僕のなろうとしている獣医師は、解剖された動物たちの命の犠牲の上に成り立っているのだと実感できましたし、その犠牲を無駄にしないように立派な獣医師にならなくてはと身が引き締まったものです。このほかには、外科実習の授業が今でも忘れられません。手術前の手洗いの実習では、全員が完璧にできるまでに何度もやり直しされて、昼過ぎに開始された授業が夜中になってやっと終了しました。そのおかげで、衛生管理がしっかりと身につきましたね。今でも手術前に手を洗うたびに、厳しかった担当の先生の顔が思い浮かんできます。
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