長 真帆 院長の独自取材記事
アニマルクリニックピュア
(世田谷区/祖師ヶ谷大蔵駅)
最終更新日: 2021/10/12
「飼い主さんにとって、大切な存在のペットたちと関わらせていただいている以上、その子たち一人ひとりにあった"オーダーメイド"の治療をしていきたいんです」。そう語るのは、祖師谷大蔵にある「アニマルクリニックピュア」の長真帆院長。穏やかな語り口調の中にも、医療に対する真剣な想いや志しが垣間見られる長先生に、獣医師になったキッカケや、実践の中で学んできたこと。そして今後の展望などを伺ってきた。(取材日2009年9月14日)
物心ついたときには動物が大好きだった
子どものころから動物を飼ってらっしゃったのですか?
私は世田谷区の出身で、子どものころからこの辺りに住んでいるのですが、当時我が家では北海道犬と秋田犬、バーミーズという珍しい種類の猫やハムスターを飼っていました。家に帰ればいつでもこの子たちがいるという環境で育ったので、物心ついたときには動物が大好きな子どもになっていましたね。
何か思い出深いエピソードはありますか?
当時の世田谷って、今とは違ってけっこう田舎だったもので、今では考えられないんですけど犬を庭で放し飼いにしていたんです。そんなある日、秋田犬がフラッと出て行ってしまって帰ってこなかったんです。「何かあったんじゃないか」と心配で心配でたまらなかったのを覚えています。結局、2、3日後、何もなかったように帰ってきたんですけど、なんと2ヵ月後に犬小屋で子犬が産まれていたんです(笑)。
その後も、ずっと動物を飼われていたんですか?
猫はずっと飼っていたのですが、しばらく経ってマンションに引っ越すことになってからは犬は飼えなくなってしまいました。独立したあとに自分で犬を飼い始めました。ちなみに今は、"バディ"という名前のミニチュアシュナウザーを飼っています。このクリニックにも一緒に来ているんですが、おかげさまで飼い主の皆様にも可愛がっていただいています。
どんな遊びが好きなお子さんでしたか?
アウトドアな遊びが好きな子どもだったので、友だちとキャンプに行って、ランプの明かりだけの中でおしゃべりしたり、流れ星を見たりしたのが思い出深いですね。他には、同級生とスキーにもよく行っていました。あと、これはアウトドアではないのですが、中学生のときに「フォークソング部」に入りまして。その活動の一環で、コンサートをやることになったんですね。部室で友だちとギターで演奏する曲を決めていたときに、初めて浜田省吾さんの『片思い』という曲を聴いたのですが、すごくハマってしまいまして。 一気に浜田省吾さんの音楽が好きになってしまい、コンサートにも足を運んでいました。今でも大好きでよく聴いていますが、中でも『ラストショー』と『もうひとつの土曜日』という曲が大好きです。
実践の中で学んだ実践力と責任感。そして感動。
そんな浜省好きな少女は、いつ頃獣医師を志すのですか?
獣医師になろうと思ったのはもっと前で、小学生のころには漠然とですが、そう思っていました。まず私自身、動物が大好きだったこと。あとは両親の勧めもあったんですね。私の親は、私に何か手に職をつけて欲しいと思っていたようで、動物が好きという私の適性をみて勧めてくれたんです。なので、小学校の卒業アルバムには、将来の夢として「獣医さんになりたい」と書いていました。
夢を叶えたんですね
そうですね。そして高校卒業後、日本大学の獣医学科に入学しました。大学時代の思い出は勉強よりも友人との思い出が一番ですね。桜の時期はみんなでお花見をしたり、キャンプに行ったり。実は私、お酒が飲めないんですけど、そういう場は嫌いじゃなくて。「青春のいい思い出」って感じです。そして、大学4年のときに学校では教えてくれないような知識も身につけたいと思い、動物病院でアルバイトを始めることにしました。
動物病院のアルバイトで身についたことは?
実際に飼い主さんや動物たちと接する中で、机上の理論ではない実践力や、その大切さを感じられたことですね。あとある日、手術を見せてもらったことがあって、赤ちゃんがいるワンちゃんだったのですが、その子のお腹にいるのは望まれない子どもだったんですね。獣医師というと、動物たちを治してお家に帰してあげるという幸せなシーンを思い浮かべてしまいがちだったのですが、そういうシーンにも立ち会わなきゃいけないんだという心構えができました。
大学卒業後の進路は?
目黒区にある、先輩が開いている動物病院に3年間、勤務していました。ここではアルバイトのときに感じた事とは違う、難しさを感じましたね。それは「当たり前のことを、当たり前にやる」ことの大切さ。たとえば、先生に代わって私が診察したとします。私は先生の代わりだと思って診察していても、飼い主さんにとっては私が主治医なんですよね。だからミスは許されないんです。そのような経験を通して、獣医師としての責任感が生まれました。
逆に楽しさを感じた出来事はありますか?
いろいろありましたが、平均よりもだいぶ多い数の赤ちゃんがお腹に入っていたコーギーのワンちゃんのお産に立ち会ったのは印象深いですね。臨月になって、私の手で赤ちゃんを取り上げることになったのですが、夕方に始まったお産が翌日の朝までかかったんです。お腹にいた赤ちゃんが全員無事に産まれたこと。そして、お母さんも頑張ってくれたこと。その日の感動と朝やけは今でも忘れられません。
一人ひとりにあったオーダーメイドの治療を
先生が、こちらに開業しようと思ったのはなぜですか?
世田谷出身ということもあり、もともと土地勘があったことと、あとは運命ですね。当時はすでに世田谷を中心に物件を探している最中だったのですが、ある日、車を運転していたときに小さな不動産屋さんを見つけたんです。それで何となく入ってみたら、ここを紹介されたんです。あの日、車を運転していなかったら。運転していても、その不動産屋さんに気づかなかったら。そう思うと不思議な縁だなぁと思います。
こちらに来る患者さんは、地元の方がメインですか?
そうですね、地元のペットたちの「かかりつけ医」ということを意識しています。ペットたちを連れてきてくれる飼い主さんは、圧倒的に主婦の方が多いですね。土曜日でも平日と変わらない時間帯で診療することによって、お勤めしている一人暮らしの方でも、なるべく来院しやすい環境を作りました。でも、ペットって人間の赤ちゃんと同じでいつ具合が悪くなるかわからないですよね。そんなときのために、2、3年前から「横浜夜間動物病院」と提携して緊急時も病院をご紹介できるような体制を作っているんですよ。
こちらの医療方針を教えていただけますか?
私にとって患者さんは「大勢の中の一人」ではなく「たった一人の大切な存在」ですよね。私は、その大切な存在である患者さん一人ひとりにあった「オーダーメイド」の治療をしたいと考えています。それには飼い主さんとの意思疎通が大切だと考えているので、できる限りじっくりお話をさせていただきます。実際の病状などは、できる限り血液データなどの検査結果に基づいた理論をかみ砕いてわかりやすくご説明しますし、さらにわかりにくい部分に関しては写真や絵を使ったりもしますね。こちらでできない手術が必要になってしまった場合でも、提携している日本動物高度医療センターや、出身大学の先輩であるそれぞれ専門の獣医師をご紹介させていただいています。
炭酸ガスレーザー手術を導入している理由は?
大体のペットは人間よりも体が小さいですよね。手術というのは人間が受けてもダメージが大きいもの。ペットたちにとっては相当大変なことで、手術後、ずっと唸っていたり、しばらくご飯を食べられなかったりするんです。それが炭酸ガスレーザーを使うと、痛みや出血が少ない上に回復が早く、手術当日に、ご飯を食べ始める子もいるんですよ。これを導入することにより、今までは手術を勧められなかった高齢のペットにも対応できたりしているんです。
今後の展望やプランをお聞かせください。
新しい設備を充実させることによって、普通にやっている治療をさらにペットにとってストレスや痛みが少ない、そして同じ治療を受けるにしても回復が早いものにしていきたいと考えています。病院自体は小さいのですができる限りの努力をして、飼い主さんとペットにとって居心地のいいクリニックを目指していきたいですね。