田中章弘 院長の独自取材記事
田中動物病院
(品川区/旗の台駅)
最終更新日: 2023/01/22
東急池上線荏原中延駅から徒歩9分。中原街道沿いに「田中動物病院」はある。創設は1950年。父から病院を引き継いだ田中章弘院長は、開業の獣医師としては希少な獣医学博士だ。大学卒業後10年目に、大学院へ戻り、獣医臨床繁殖学教室で、「猫の人工授精」のを研究した。先端的な診療に積極的なのかと思いきや、「今、僕らが最も大事にしているのは、不妊・去勢手術です。この基本的な手術を動物の体にできるだけ負担が掛からないように行うことに力を入れているんですよ」。優しく穏やかに話す田中院長だが、獣医になりたてのころは「僕がやらなければ誰がやるんだ!」と肩に力が入り、自分が治せたことに自己満足しているような獣医だったという。いまでは、年齢と診療経験、そして自身の病気を通して、動物に負担が少なく、飼い主に感謝される診療を行うことが一番の喜びに変わったと笑顔で語る姿は、家族のように大事な動物を預ける飼い主の立場として非常に安心だ。幼い頃父の診療所で遊んだ思い出から、愛犬のことまで、じっくりとお聞きした。 (取材日2012年10月10日)
目次
子ども時代から父の診療室で遊び、体に染みついていた獣医の仕事
1950年に開院だそうですね。
はい。当院は今から62年前に、僕の父が開業しました。当時は家畜病院といいましたが、まだ動物病院が珍しかった時代です。祖父の仕事の関係で少年時代を満州で過ごした父は、最初は医師を目指して現地の医学部へ入りました。ところが、日本よりも自然が豊かで、さまざまな動物が身近にいる環境に身を置くうちに、「獣医師として動物の診察をしたい」と思うようになり、帰国後、現在の日本獣医生命科学大学へ転校し、卒業後は米軍の獣医になり最新の外科を学んだそうです。動物病院の少ない時代でしたから、日本中から呼ばれて、電車や飛行機まで使って往診し手術をしていたらしいです。僕が当院に戻ってきて父のもとで診療を始めたのは約30年前です。今でも父の代からかかりつけにしてくださっている飼い主の方も多く、長い方はもう50年以上のおつきあいになります。
自然と動物好きになる環境でお育ちになったのですね。
犬や猫以外にもリス、小鳥、ウサギ、イグアナまで、常に周りに動物がいましたね。僕が生まれる前年と後年に飼い始めた2頭のコッカー・スパニエルと、兄弟のよう育ちました。この犬種は独特の匂いがして、はっきり言うと臭いんです(笑)。でも、ずっとそれを嗅いで育ったので、僕にとっては懐かしい匂いなんです。そんなふうに育ったのに、若い頃は獣医になろうとは思いませんでした。安直に父の跡を継ぐことを、男としてかっこ悪く感じたんですね。他の職業につこうと考えながら、早稲田大学の理工学部へ進みました。ところが、大学に通ううちに、「やっぱりこれは違う。僕の進む道は獣医だ」と気づいたんです。すぐに大学を受け直そうと思ったのですが、高校の担任の先生が「気が変わるかもしれないから卒業だけはしなさい」と内申書を書いてくれなかったので、しかたなく早稲田に通い続けました。それでも獣医への思いはつのるばかり。4年生になったときには再受験のために予備校に通いだし、卒業と同時に、獣医大学に進学しました。
子ども時代の体験が体に染みついていいたのでしょうか?
今のように衛生面にきびしくない時代だったので、父は僕にも診療を見せたり、手術をしたりする様子もよく見せてくれましたね。だから、よく血を見ても怖くないですかと聞かれたりしますが、そういうことが当たり前の日常でした。血の付いた手術器具を洗う仕事を手伝ったり、病院の獣医やスタッフと一緒に、ピンセットや鉗子を使ってプラモデルを作ったり、手術台のハンドルを自動車のハンドルに見立ててよく遊んでいました。ですから、獣医になるのがごく自然な環境でした。それなのに意地を張ってしまっていたんですね。二度目の大学時代は、短期間で覚えなければいけないことが多く、大変でした。それでもやりたいことだったので、懸命に勉強しました。ただ、最初から小動物の獣医になると決めていたので、大動物の実習の時間はクラスメートの後ろに隠れて見学していました。牛の肛門に肩まで手を突っ込んだりするんですよ。やむをえず、ちょっぴり温もりを味わうくらいでした(笑)。
動物に負担の少ない不妊・去勢手術を徹底。低周波治療器を用いた鍼治療も行う
晴れて獣医になられたのですね。
はい。研修医になって初めての当直の時はドキドキの診療でしたが、翌日その犬が回復しているととてもうれしいわけです。でもあの頃は、「僕がやらなければ誰がやるんだ!」と肩に力が入り、自分が治せたことに自己満足しているような獣医だったと思います。今は、飼い主の方に感謝されたり、喜んでもらえたりすることのほうが、ずっと嬉しい。たとえ動物が亡くなってしまっても、「この病院に来てよかった」と言っていただけることが、一番心に響きます。年齢や診療経験を重ねたこともありますが、僕の気持ちの変化に大きく影響したのは、19年前に無理がたたって、命にかかわる大病をして8ヵ月入院した体験でした。病院のベッドで、病気になった動物のつらさや、飼い主の方の不安や心細さを実感しました。大事なのは獣医の満足ではなく飼い主の方の満足だと気づかされたんです。
動物の負担を減らすため、どんなことに配慮されていますか?
今、一番力を入れているのは、動物からすれば最も手術を受ける確率の高い不妊・去勢手術です。当院ではこの基本的な手術を、動物にできるかぎり負担をかけない方法に取り組んでいます。例えば不妊手術は、一般的には卵巣と子宮をすべて摘出しますが、僕らは、電気メスや超音波メスを使って、袋に入っている卵巣のみをくりぬく方法をとっています。そうすると、出血も抑えられますし、糸を使わないために手術後に異物反応を起こす危険性を回避できるのです。皆さん、不妊手術は簡単で、生還するのが当たり前だと思っていますでしょう? だからこそ、獣医にとっては実は大変神経を使う手術なんです。ですから、こうした安全性の高い方法をとることは、獣医にとっても動物にとっても、メリットがあるんですよ。僕は、卒業後10年したとき、基本に立ち返ろうと、大学へ戻って臨床繁殖学を勉強しました。この手術の方法の基本的な考えは、その時に学んだものです。
ほかに特徴的な治療はありますか?
よく意外に思われますが、当院では30年位前から鍼治療を行っています。動物の体のツボに鍼を刺し、低周波の電気を流す治療で、主に椎間板ヘルニアなどで普通に歩けなくなってしまった犬に効果があります。先日も、ミニチュアダックスに鍼治療をほどこしたら、歩けるようになりました。職人さんである飼い主の方がすでに手作りで犬用の車椅子を準備されていたのですが、必要なくなってしまったんですよ。車いすは無駄になったけど、すごく喜ばれました。うれしかったですね! この治療は、必ず効果が出るとは言い切れないのですが、マイナスに働くことはありません。高齢で足腰の弱くなった動物に使っても効果があるので、悩まれている方はぜひ一度相談してください。
飼い主の方に対して特に気を配る点はなんでしょう。
治療にいくつかのやり方があるとしたら、医療費も含めて飼い主の方に説明・相談し、どれを選ぶか決めていただくようにしています。以前、ケガをした野良の子猫を拾ってきた方がいらっしゃったのですが、僕は「野良だから……」と勝手に低予算の治療をお勧めしたんです。ところがそれは僕の先入観で、その方は「お金は、掛かってもいいから早くこの子をよくしてあげたい」とおっしゃったんです。ですから、まずは飼い主の方の話をしっかり聞いて、ご希望にそった治療をするようしています。また、穏やかな口調で接することも大事にしています。初診の方から病状を伺うとき、僕が優しく穏やかに話をしていると、動物はその様子を見ていて、この人は敵じゃないお母さんの友達なんだと安心するんです。これは父の診療を見ていて学んだことです。
動物を亡くした飼い主の方に悔いが残らないよう、自身の経験も踏まえて相談にのる
現在飼っている動物について教えてください。
チワワのエル、ヨークシャーテリアのチャッピーと暮らしています。この子たちを抱きしめると、どんなに疲れていてもほっと心が和みます。一日で一番幸せな時間ですね。獣医によっては自分の飼っている動物を自分で治療しない人も少なくありません。僕の出身大学の大学病院の院長先生も、ご自分では治療せずに、よく僕のところへ連れていらっしゃいます。僕は、自分の犬は自分で診ますし手術もしますが、ただできるだけ注射や、検査などはスタッフにまかせています。やはり、そういう僕も自分の犬達に少しでも嫌われたくないですから(笑)。
飼っていた動物を失った経験も多いのですか?
これまで20頭近い犬や猫を亡くしました。八ヶ岳にある家の庭に、我が家の歴代の動物たちのお墓があり、年に一度は会いにいきます。どの子も思い出深いですが、なかでも10年ほど前に亡くしたミミは忘れられません。腎不全で苦しみ、最後はケイレンを起こして、辛い思いをさせてしまいました。あのとき、僕はあえて病気と闘う方法を選んでしまったんです。今思うと、どうせ死ぬならあんな苦しい思いをさせずに、安楽死させてあげればよかったのかも知れないと考えます。動物を亡くしてペットロスという症状になる人の気持ちの根底にあるのは後悔です。飼い主の方も皆さん、「ああしてあげればよかった」「これでよかったんだろうか」と悩まれます。どう治療するかを最終的に選ぶのは飼い主の方ですが、皆さんに悔いが残らないよう、僕自身の経験も踏まえてこれからも相談にのっていきたいと思います。
動物以外の趣味はありますか?
僕は子供の時から車や時計などメカニカルな物が好きで、よくいじっては壊したりしていました。もちろん今でも大好きで車には手を掛けています。ただ、かなり体力を使うので最近は時間があると時代小説を読んでいます。特に江戸物に魅かれます。時代小説を読んでいる時は、外部と遮断されて、その時代にタイムスリップしたような感覚になります。これが何よりの気分転換になりますね。それから、スポーツジム通いも習慣にしています。大病をした身体なので、医師から心拍数を一定以上には上げてはいけないと言われているのですが、かといって体を動かさないと、すぐに疲れて仕事になりません。そこで、専門家の指導のもとに、マシンを使った運動を行っています。プールで歩くのもいい運動になると言われているのですが、スイミングキャップをかぶるのが恥ずかしいんですよ。帽子とゴーグルをして、かっこよく泳げればいいけれど、ただ、行ったり来たり歩くだけですからね(笑)。
今後の医院の目標・展望をお聞かせください。
いたずらに病院の規模を拡大するのではなく、動物病院として総合的にみて弱い部分があれば、それを補強していきたいです。例えば先ほど申し上げた不妊・去勢手術の方法も、僕だけでなく、スタッフ全員ができるように、後進を育てていきたいですし、そうした基本的な部分を熟成させる一方で、先進的治療を取り入れることも大事にしていきたいです。そのためには、大学関係や学術講習会などから新しい知識や技術をしっかりと吸収しなければなりません。基本と先進の両方を大切にしていれば、より多くのケースにも対応できますからね。それでも、僕らに対応できない場合は、高度医療病院や大学病院や専門病院や夜間病院などと連携することで、万全を期していきます。将来当院は、現在獣医大学に通っている息子に引き継ぐことになります。親子三代に渡って大切な家族の一員である動物たちの健康を任せていただけるように、これからも努力していきたいと思います。