黒田佳之 院長の独自取材記事
東京ラブリー動物病院
(練馬区/石神井公園駅)
最終更新日: 2023/01/22
のどかで趣ある町並みが続く練馬区石神井。バス通りから一歩入った閑静な住宅街の一角に、黄色いメルヘンチックな建物が見える。象やキリンたちをモチーフにした手すりの階段を上った2階にあるのが、「東京ラブリー動物病院」だ。黒田佳之院長は34年の経験を持つベテラン獣医師。大学時代に知り合った妻の黒田千草副院長とともに、地域のホームドクターとして献身的に尽くし、飼い主とは長年にわたって強い絆で結ばれている。人一倍責任感が強く、動物たちの健康のためには決して妥協を許さないという黒田院長。真摯なまでに動物たちを愛する姿の背景には、どんな人生の歴史があるのか、その素顔を伺ってみた。 (取材日2013年2月22日)
外観や家具・装飾の細部にまでこだわった、温かい雰囲気の医院
とても素敵なアプローチフェンスですね。
動物たちをかたどった階段の手すりですか? これは当院をオープンするとき、私がとてもこだわった物のひとつです。外観やインテリアをどうしようかと考えていたとき、ふと雑誌で目にした鍛鉄工芸家の西田光男さんの作品を見て、「これしかない!」と思えるくらいにとことん惚れ込んでしまいました。「ぜひ西田さんに当院の装飾をお任せしたい」とご本人に連絡を取って頼み込み、作ってもらったのがこの手すりです。動物をイメージした看板や、手作りの受付案内板も西田さんにお願いしました。病気を治しに行くだけの暗いイメージの医院ではなく、飼い主様が幸せな温かい気持ちになれるような動物病院にしたかったのです。
こちらの医院を開院する前も、お近くで開業されていたようですが?
ええ、こちらには2003年に自宅兼病院の4階建てビルを建てて移転しました。最初に開業したのは1979年で、医院があったのはここからすぐ近くの場所です。当時から“明るいオープンな雰囲気の医院にしたい”という思いがあったので、正面は透明ガラス張りにして院内がよく見渡せるようにしました。ペットの美容室やペットホテルも併設したのですが、そんな動物病院は当時はほとんどなかったんですよね。なかなか飼い主様に認知していただけませんでした。「カットをお願いします」といらした方がいると思うと、なんと動物を連れていない。人間の美容院と間違われてしまったんです(笑)。昔の動物病院といえば、ホテルや美容室を併設している所などほとんどありませんでしたし、中は壁やスリガラスでまったく見えないのが当たり前でしたからね。
“ラブリー”というお名前もめずらしかったのでしょうか?
そうなんです。当時の病院名は、医師の名前か地名を付けている所がほとんどでした。でも、それではどうしても堅いイメージになるので、医院名にはぜひカタカナを入れたいと思っていたんです。何かしゃれた楽しい名称はないかと探して、結局“ラブリー”に落ち着きました。
生涯をささげる仕事と出会わせてくれた、運命のドキュメンタリー番組
先生にとって、石神井はどんな街ですか?
静かで落ち着いていて、とてもいい街だと思います。地域の方々は穏やかで優しく、とても品のよい方が多いですね。そんな街で獣医師として働けて、本当に感謝しています。そうそう、昔の飼い主さんはとてもユニークでしたよ。人情に厚くて、私のことをとことん信じて診療を任せてくださいました。私は治療をする際に、「こういうわけで、こういう治療を考えていますが、どうしますか?」とひとつずつ尋ねるようにしているのですが、そうすると決まって「先生がうちの子の飼い主だったらどうしますか?」と切り返してくるんです。重い病気だったりすれば、どうしたらいいか飼い主さんでも途方に暮れる。でも、「先生がそう言うなら心は決まった。すべてお任せします」というスタンスで、全面的に信頼してくださるんですよね。その心意気に感動して、私も文献を読みあさったりしながら、何とか治してあげようと必死になります。
先生が獣医師をめざされたきっかけは?
それが、本当に運命の出会いというか、たったひとつの偶然によって獣医師としての今の私がいるのです。もともと子どもの頃から動物は大好きで、捨て犬を拾ってきては親に隠れて飼育したり(笑)、自分で鳩小屋を作ってハトを飼ったりしていました。でも、お祭りのヒヨコを飼ったときは大変でしたよ。何度育てても、みんな死んでしまうのです。「どうして死んでしまうのだろう?」と本を読みあさって調べつくし、食べ物を変えたり薬をあげたり試行錯誤した末、ついに1羽だけニワトリに成長させられたときは心底うれしかったです。そのくらい動物のことは好きだったのですが、では獣医師をめざしたかというと、そうではありませんでした。なぜなら、かつて私が知っていた動物病院はとても汚くて、そういう場所で働く自分の姿が想像できなかったので……。大学は獣医とは無縁の、建築学部に進もうと考えていました。ところが高校3年生の頃、テレビで野生動物の保護のために生涯をささげる獣医師のドキュメンタリー番組を観て、人生が180度変わったのです。本当に大きな感動と、衝撃を受けました。「僕の職業はこれしかない!」と一念発起。それからは獣医学部1本に絞って受験し、入学しました。あのときドキュメンタリー番組との出会いがなければ、獣医師である今の自分はいないし、妻とも出会っていなかったでしょう。
診療の際に心がけていることは何ですか?
私はじっくりと時間をかけて診察をする方針なので、午後の診療は予約制にしています。そうすることで、具合の悪い動物たちを待たせることもありませんし、動物同士の感染も防げます。診察では、たとえば食欲がない猫ちゃんが来院した場合、呼吸の状態や舌の色・心音・体温・皮膚の張りなどを細かくチェックした上で、飼い主さんに状況をしっかりと伺います。動物はしゃべれませんから、飼い主さんと時間をかけてお話しすることが、診察の際にはとても重要なポイントとなるのです。できるだけ多くの情報をお聞きした上で診断をし、その後は獣医師として全力を尽くして治療を行います。もし高度な医療技術を必要とする疾患の場合には、大学病院や専門の病院を紹介することもあります。その病態を的確に見極めるのも、ホームドクターの使命だと思っています。
子どもたちや動物たちのために、地域の小学校で飼育講習会も
先生は子どもの頃、どんなお子さんだったのでしょう?
とにかくワンパクで、じっとしていることが苦手な子どもでしたね。木に登ったり洞穴を探検したり、いつも外で走り回って遊んでいました。昔で言う“いたずら坊主”っていうやつです。今でも趣味はアウトドア系で、仕事の合間を縫っては海に出かけ、手漕ぎボートに乗って釣りをするのが一番の楽しみです。広い海の上に一人ぽっかり浮かんで釣り糸を眺めているだけで、最高の気分になります。この間はパラオに行って、手釣りツアーを満喫してきました。ロックアイランドの美しい景色を眺めながら魚をねらい、釣り上げた魚を刺身やホイル焼きにして食べたときは最高でした。
小学校でウサギの飼育の仕方をお話しされたそうですが?
ええ、小学校から頼まれて、飼育小屋にいるウサギの飼い方をレクチャーしてきました。どこの小学校にもウサギ小屋がありますが、どんな餌をあげたらよいかなど、きちんとした飼育の仕方を知っておくことが大切ですからね。練馬区内の獣医の先生方と協力し合いながら、地域の方々に動物への理解を深める活動もしています。一医院の力では大きなことはできませんが、市政を巻き込んでみんなで力を合わせれば、いろいろなことが実現可能です。
奥様も獣医師なのですね。とても息がピッタリのご夫婦かとお見受けします。
いやぁ、大学時代に知り合ってもうかれこれ40年近くになりますから。卒業後の勤務先も同じですしね。人生のほとんどを一緒に過ごしている感じです。妻とは動物によって担当を分けているわけではなく、そのとき来院した動物の状態に合わせて、臨機応変に対応しています。夫婦なので、その辺があうんの呼吸でできる点は助かりますね。医院には妻のほかに動物看護師と美容師がいて、皆で助け合ってやっています。
最後に、ドクターズファイル読者へのメッセージをお願いします。
開業してかれこれ30年以上もの長い間、素晴らしい地域の方々に恵まれて、私たちも今日まで来ることができました。本当に感謝しております。これからも「頼れる街の獣医さん!」と言っていただけるように、常に自分の持てる力を出し切って頑張りたいと思います。飼い主の皆様に頼りにしていただける存在となることが、私の最大の願いです。少人数の動物病院ですが、スタッフ全員で力を合わせて毎日夜遅くまで励んでいますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。