緑が多く、穏やかな雰囲気が印象的な東府中にて動物病院を開き、30年近くも地域のペットと関わってきた「勅使河原動物病院」。同院は取材からおよそ7ヵ月前に全面改装をしたばかりであるため、見た目や内装は新しいが、医院の歴史は深い。穏やかな語り口と優しい笑顔が印象的な院長の勅使河原誠先生は「すべての動物に医療を」同院の指標と掲げ、誠意ある診療を続けてきたという。同院は獣医師をはじめとしたスタッフが多く在籍している点にもその指標についての本気度が現れている。話を聞くたびに、実家を動物病院とし、日々生き物の命と関わる獣医師として思うこと、獣医師として必要なセンス、そして今後の展望まで話を聞いてきたので、ここに紹介したい。
(取材日2015年12月22日)
―東府中で開業した理由を聞かせてください。
当院は元々私の実家なのです。ここで祖父が米屋を営んでいたのは戦時中。戦争で商売を続けることが難しくなったこともあり、父はサラリーマンとなりました。父の仕事の都合で、中学時代までは転勤族で…大阪や名古屋を転々とする生活が中学の終わりまで続きました。そして、この家に帰ってきて。その頃から獣医師への道が見えてきます。そして、今現在の実家兼動物病院と姿を変えた訳ですね。開業当時の東府中は米軍が存在していたこともあり、地図だけを見ると住宅地が少なく見える状態でした。その影響もあってか、動物病院が少なかった。そういった面でも、この地で開業する意味はあると考えていました。私にとっては地元ですから、実は動物病院がなくて困っている人がいるはずだ、という見当をつけることができたのです。
―そもそも、獣医師をめざしたきっかけは何だったのでしょうか?
これが不思議なことに、幼い頃の私は親に「犬のお医者さんになりたい」と何度も告げていたそうです。同時に犬を飼いたがっていて、私自身はこれらのことはうろ覚えなのですが(笑)。とにかく、犬に対して何か特別な気持ちがあったのかもしれません。成長し、進学するにつれて将来のビジョンが少しづつ明確になっていくわけですが、一度は消防士に憧れた時期もありました。「人に感謝される仕事を」と考えた時、真っ先に浮かんだ職業だったことが理由ですね。しかし、学生時代の私は体が頑丈とは言えなかった。じゃあ、どうする? と考えた時、幼い頃に犬のお医者さんになりたいと親に訴える私自身の言葉を思い出したのです。幼い私の言葉が自分自身の進路に大きな影響を与えたのですね。
―開業当時の動物病院とは、世間から見てどのような存在だったのでしょうか。
私が開業した頃は、ペットは人間の生活の外側にくっついていた。人間は室内で、ペットは庭先にいるのが主流…といったイメージですね。現在のようにペットが室内で飼われており人間の生活により入り込んだ存在ではなかったように感じます。実際、「犬にお金をかけるの?」と驚く人がいた時代ですから。それでも、ワンちゃんだって風邪をひいたら治したいし、お医者さんが必要だよね、と。ペットと医療の垣根を低くしたかった。開業当時に掲げた当院のポリシーが「すべての動物に医療を」です。動物たちを治してあげるのが一番。その想いが当院と、私の獣医師としてはじまりから在る想いです。時代はめまぐるしく変化し、今やペットのご家族も我々獣医師もより高度な医療を求めるようになりましたが、当院の想いは開業時から一貫しています。
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