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片山俊樹 院長の独自取材記事

下北沢動物病院

(世田谷区/下北沢駅)

最終更新日: 2023/01/22

若者達でにぎわう下北沢で、動物達の命を守りたい一心で診療に当たる『下北沢動物病院』の院長、片山俊樹先生。開業に至るまでのバックボーンを伺うと、まさに挫折と苦悩の繰り返し。「下北沢には、役者やミュージシャンを目指して頑張っている若者が多いでしょ?刺激になりますよね」と、明るく話すその笑顔からは想像がつかないが、多くの苦労を経験されてこられたからこそ、今、町医者として、ペットや飼い主を優しく包み込み、救うことができるのだろう。取材では等身大のご自分の姿を、飾らない言葉で語っていただいた。(取材日2010年1月29日)

子供ながらに「命」の不思議さや大切さを感じていました。

獣医師を目指したきっかけは?

兄が大の動物好きだったので、犬や猫を飼っているだけでなく、カエルや昆虫、ヘビなどを捕まえてきては兄弟で育てていました。ただ今思えば、長生きさせてあげられなかったり、子供の無責任さから残酷なことをしていました。中学生になるとやんちゃ盛りまっしぐらでしたが、虫などの小さな命が死ぬ事でもなにか悲しかったですね。ムツゴロウさんの本や「野生の王国」というテレビ番組が特に好きで、次第に動物の保護に興味を持つようになりました。動物の味方になる様々な仕事に憧れ、獣医学科を目指しました。大学の授業で印象深かったのは解剖実習かな。動物の命を救う勉強のためとは言え、生きたヤギを検体に使うのはショッキングでした。命が消えていくヤギの目を見て、真剣に勉強をしなければ申し訳ない、と心底思いました。3年生になって、実際に獣医師の現場を体験したいと思い、受け入れてくださる動物病院を探して長期休み毎に研修をさせてもらいました。命を預かる責任の重さ、そして動物を介して人に喜んでもらえる獣医師の仕事に魅力を感じたのと同時に、身近な動物でいい、多くの命を救える町医者になりたいと、純粋に思いました。

先生が大学で学ばれたことは?

5年生から各研究室に入るのですが、顕微鏡を使って病気の成り立ちを解明してゆく病理学に興味を持ち、実験動物学研究室に進みました。そこで人生の恩師である佐藤教授と出会いました。弟子に厳しく自身にはもっと厳しいことでも有名な先生のもと、緻密で奥深い病理学に興味が湧き、臨床とはまた違った大切さに大きな刺激を受けました。卒業後は先輩が勤務する動物病院での就職が決まっていましたが、教授から「もう少し修行してみないか?」と話を頂き、研究室に残りました。

厳しい研究室だったそうですね。

ハハハ、学生ではない訳ですからね、説教のない日はなかったし、褒められた記憶は1回くらいかな?佐藤教授は、数々の大きな功績を積んでこられ、病理学では知らない人はいないほどの方でした。プライベートでも生涯ラガーマンでいて、研究者、教育者として人間的な魅力に溢れ、私にとってはリアルなスーパーマンでした。耳にタコができるくらい叩き込まれた言葉があります。「真理探求しなさい!」「心をここに!」言葉は理解できますがその真意を志そうとすると無限の深さであり、毎日情けなさと悔しさの日々だったように思います。今思えば一つ一つの叱咤激励は、研究者そして教育者として「半端に生きるな、生命や病気への立ち向かい方はそんなものじゃあ駄目だぞ!」と背中を見せ続けてくださったと感じています。社会人として初めての日々が、厳しく且つ贅沢な修行であったことは大きな宝物です。現在私は臨床医ですが、病気の解釈においては今でも病理学が基軸になっていますね。(笑)10年ほど前に、厳しい同じ釜の飯を食った同輩や後輩達とOB会を作り、毎年恩師を囲んで家族旅行会や新年会そして恩師の卒後教育勉強会を行っています。懐かしんだり頭を捻ったり、それはそれは楽しいですね!

遠回りをして、やっとたどり着いた自分のクリニック

臨床医として新たな一歩を歩まれたのですね。

臨床を学ぶために東京大学動物医療センターの外科系診療に進みました。自分が夢描いた臨床の勉強ができると、意気揚々に飛び込んだものの、臨床のエキスパートである優秀な先生方の中にいて、基礎医学に打ち込んでいた私が直ぐに使いものになるはずがありません。日々、各地から重症、難病なペット達が来院する中で処置を行う先生方の迅速で的確な判断を目の当たりにし、歯軋りする思いの日々が続きました。馬車馬のように忙しい年月でしたが、佐々木教授もとで日本の獣医臨床の目覚しい発展や更なる可能性そして限界も、たくさん経験させていただきました。ここでも同じく病気に対する医学の真理探求の毎日で、探求すればするほどに解らないことにぶつかり、また探求。それでもなんとしてでも現状の辛さよりもより良き改善方向を目指す。命の終わり無き難しさをとても感じました。ようやく臨床医としてある程度の自信がもてるようになった頃、生まれ故郷に程近い兵庫県の安田動物医院から、外科系の獣医師として声をかけていただきました。

他にどのような専門分野に?

安田院長は以前内科の助手をなさっており、私の在籍当時でも様々な伝説が語り継がれた先生でしたので、循環器科、消化器科、内分泌(ホルモン)科、皮膚科、などの内科系診療の原点とも言えます。関西での勤務にあたり、いくつかの勉強会に参加させていただきましたが、どの会も論議がとても熱く関西の先生方の熱意をとても感じました。そんな中いつか神戸に自分の病院を持ちたいなと夢を抱き計画を立ていました。しかし、病院を卒業直前に阪神・淡路大震災に見舞われました。町は壊滅状態で日が経つにつれて余震の恐怖は消えたものの、夢も理想も計画も全て無くなってしまい、心にすっぽりと穴が開いてしまいました。先が見えない状況でしたが、運良くいくつかの病院から声をかけていただきました。良いチャンスと解釈し直し、フリーとしていろんな町の多数の病院をお手伝いさせていただくことになりました。小さな診療所で自分の限界を知りつつも懸命に戦う先生や、とても高いレベルの知識力と経験を持つご年配の先生など、様々なタイプの先生方との出会いは、大学のハイレベルな環境で贅沢な修行をし天狗になりかけていた私に、町医者のあるべき姿を見せつけ「身近な動物でいい、多くの命を救える町医者になろう」と言う思いで獣医師を志した、学生の頃の純粋な気持ちを思い出させてくれました。

その後、またしても転機が訪れるのですね。

フリーで病院を巡っていた頃、安田先生の後輩にあたる岐阜大学の岩崎教授から、「大学に来ないか」という話を頂きました。大学勤務は中途半端な気持ちで引き受けてはいけないことを重々知っていましたので、一度お断りしました。ですが、先生は私の気持ちを理解したうえで、フリーを続けながらでも良いからと勧めてくださり、岐阜大学で勤務することになりました。当時、岩崎先生は米国から帰国されたばかりで、皮膚科学会においてセンセーショナルな研究をされて、私も何度かセミナーに参加しており、願ってもないチャンスでした。また岐阜大学はフィラリア症の研究で有名なゆえ、循環器系の内科および外科に優れた先生方が多数いらっしゃり、大学で吸収した実践的な知識や技術はとても大きかったです。数ヶ月後、皮膚科に長けた女医が入ってきて、切磋琢磨しました。私にとっての一番の理解者といえる妻(副院長)です。様々な巡り合いの中で、自院の開院という希望の光がまた輝き始めました。

開業までの経緯をお聞かせください。

当初は神戸での開院を考えていましたが、町の復旧には10年以上かかると言われていたため、関東を視野に場所を探すことにしました。それまでにいろいろありましたから、ただ、自分がずっと住みたい町で開院しようと思ったんです。下北沢という町は大都会東京なのに東京っぽくなく、ゴチャゴチャしていてちょっと関西っぽい町。お芝居や音楽が好きだということもありましたが、夢を目指す若者がここには集まり、お金儲けが中心で無く、自分の理想や夢を必死でもがいて追求している。そういうところに共感し、骨を埋める場所にはぴったりだと思いました。

どんな些細な不安でも気軽に相談してほしい

プライベートはどのようにお過ごしですか?

休日は家族で過ごすことが多いですね。3人の子供達はディズニーランドが大好きなので、よく行きますよ(笑)。テレビも子供ものが多く、得意ですよ。世間ずれしがちですけどね。シャキーンって言う朝の子供番組の「いっしょにいるから」と言う曲、良いっすね!40歳を迎えてから健康に目覚めました。30代半ばから徐々に太りだして、完全に肥満でした。自分の身体の管理もできない先生に「肥満は様々な病気もとだよ」な〜んて言われても説得力がないですものね。妻や娘達にも注意される始末で。「何だったら続けれるかな?」と考えた時、大学までやっていた柔道を再び始めてみようと思いました。精力善用、自他共栄、正義感や責任感、そういった心構えを根付かしてくれたのが柔道であり、再開した今も楽しく続けています。食事とカロリー消費を考えるようにし、体重はピークの時より15キロ以上減りました。

学生の見学、研修を受け入れているのですね。

現場で何が必要なのかを経験してもらいたくて。私自身もそうやって、たくさんの諸先輩方から多くのことを学ばせてもらいました。就職したらその病院のことしか学べないでしょ。一つの医院だけで通用する常識が全てではないんです。どの病院にも病めるペット達と病気の軽い重いに係わらず我が子のように心配を抱えた飼い主さんが来られます。様々な診察の中、楽観過ぎることを語るべきではなく、また過剰な心配も希望が見えず辛くなるだけ。飼い主さんへ、等身大を伝えることと、case by caseの配慮が大切です。また学校の成績や勉強も大事ですが、どのように良い治療に繋げていくかがとても大切です。このような現場でないと実感できないことを、真剣に動物医療を考えている獣医師、看護師、トリマーを目指す学生さん達に、どんどん研修してもらいたいと思ってます。いくつもの病院を見て現場を知り、いろんなことに目を向けて吸収して欲しいですね。やる気のある子には発破かけますので、がんばって立派になってほしいです。

先生の診療スタンスは?

町医者である以上ワンマンでは日々様々な疾患の対応には限界があります。チーム医療という言葉を使いますが、スポーツととても似ているんです。個々人がそれぞれに向上を目指して日々修行し、必要なタイミング時には直ちにベクトルの向きが揃い、少人数でも何倍もの立派な医療が行えるチームを実践しています。僕はスタッフであるチームメイトにはかなり恵まれていますね!(笑)病めるペット達はどの子も辛さからの改善を、どの飼い主さんも悩みからの解放を願っていることを、私達が一番よく知っています。その子その子にとって何が必要であるかは全てcase by case。しっかり現状を伺いながらより良き方向をアドバイスしたいですね。また、難病にも町医者の限界があります。ペット達は、飼い主さんと我々ホームドクターそしてセカンドオピニオンとして相談や紹介出来る大学病院、これら三角形の中心に位置すると、難病からさえも守りやすいですよ。

飼い主さんへのアドバイスをお聞かせください。

動物達は本能で生きてゆくということをずっと知っておいて欲しいのです。我々人間であれば知識や学習に長けていますので、小さな自覚症状が少し続いただけで心配になり、直ぐに安静に努めたり家族に打ち明けたり医師に相談したり、早期発見・早期治療は充分に可能です。人間以外の動物達は言葉で表現できない上に、体調の異変を出来る限り隠そうと努力します。弱みを見せないようにして敵から身を守るための本能なのでしょう。食欲不振が続いたり、元気が少し落ちてショボンとしたりなど、我々が気付けるような不調のサインを示す頃はもう我慢の限界、思った以上に病気が進行していることも少なくありません。「鼻が濡れているからまだ大丈夫…」「猫は吐いて治すらしいわよ、傷だって舐めて治すのよ…」「びっこ引いてるけど散歩行ったら走ってるから大丈夫だろう…」などといった話を耳にしたことがあるかもしれませんが、鼻で判断されてはたまったものではないでしょう。吐いて病気を治しているのでは無く、それこそが症状なのです。しつこく舐め続けている部位は崩れて皮膚炎が酷くなる前触れです。また動物達はかなりの痛みでないとびっこを引いてくれませんし、散歩中は嬉くなって平気な顔で走ったりします。まずは安静が第一ですね。日本には独特の間違った情報や常識がまだまだ根付いているようです。身体も心も我々人間と一緒、動物達はそんなに強くも簡単でもありません。どんな重症の病気とも戦いますが、我々が勧めるのは重症化させないこと。そして辛くなる前の簡単に改善できるうちにサッと治すこと。欲を言えば病気も怪我も事故も出来るだけ起こさせないにこしたことありません。最新医療や高度医療も大切ですが、その前にもっと大切なことが「病気や事故になりにくいように飼う知識」これが一番だと思います。飼い方の知識、すなわち生活環境・生活習慣こそが本来の予防医学じゃあないかな。もっとも簡単な方法は、近くで信頼できる担当医にどんな些細な不安でも聞いちゃうことですね!

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